2006年10月02日

[アンケート]Tiki形式入力ってみんな使ってた?

現在まで培ってきた俺らの大好きなblosxomベースの北国オリジナルシステムはあと数時間でこの世から消えます。
別に今度新しく北国で採用されるCLOGなるASPサービスが悪いといってるわけではないが(よう知らんし)、なんかいろいろみんなの要望とか取り入れてチビチビ進化してきた様を見てきてるから、やっぱ悲しいわけよね。
オープンソース化ほんとして欲しいわ。

さて、本題。
他のレンタルブログサービスではあまりみかけない北国の機能で、Tiki形式入力が可能というのがありました。
Wikiの記法(Wikiの中でもTiki記法準拠)で書けるので、慣れれば簡単にリンクとかいろいろ書けて楽って代物なのですが、実際みんな使ってたんやろか?
後学のために教えて欲しい!
Wiki記法で書けるってネットオタでない一般のみんなは嬉しいわけ??

僕はちなみにほとんどTikiで入力したことないです。
あんまリンクとかバンバン入れるわけでもないし、文章だけの記事んときとか関係無いんやもの。


チャンネル北国ユーザーのみなさんにぜひ聞きたい!
Tiki入力機能ってあると嬉しい???
ぜひコメントでもTrackbackでもいいからみなさん使ってたのか教えて欲しいです。
仕事でなんかサービス作るときに参考にしたいです!笑  

Posted by highbiscus at 04:40Comments(97)TrackBack(6)weblog

2006年10月01日

(株)チャンネル北国っていつできたんだ?

佐藤さんの退任をお知らせメールを見てたら、



代表取締役及び管理人「佐藤」の退任について!
 
皆さんにおかれましては、突然のことではありますが、
佐藤は今月末で管理人を退任し、(株)チャンネル北国を辞任いたします。
 
これまでのご支援・ご協力、真にありがとうございました。
 
なお、
 
新システムによる今後の運営につきましては、親会社であります
北国からの贈り物社を中心に、更なるサービス向上を目指してま
いりますので、引き続きのご愛顧のほどお願い申し上げます。



とあって、株式会社チャンネル北国なんてあったの!?と驚いた。浦島太郎か、俺は(笑
調べたら、なんかチャンネル北国TVの会社概要のとこに


会社概要
会社名:株式会社 チャンネル北国
設 立:2005年8月22日
目 的:インターネットを利用した情報ネットワークの企画、構築、運営、コンサルタント業務他
資本金:1,000万円
所在地:北海道札幌市白石区



とあった。昨年の夏に登記したみたい。
これまでは、親会社の北国からの贈り物(カニ屋)の運営する1サービスだったはずで
独自に法人にはなってなかったはず。
登記したけど1年で退任するのか。
何があったのかわからんが、登記したところを見ると、チャンネル北国TVをベースに独自にビジネスをやる気だったはずですから、なんか残念無念な事態なのかもですね。
(北国の贈り物のCMとかボランティア的なものなら、法人化はしないわけ。法人化するってことはそこで売上上げないといけないから、そういう計画あってのことなわけです)

単純に儲からないで、赤字なんで、CLOGのASPにしたりいろいろコストカット政策。赤字の責任取って退任って話かもしれんし
CLOG化に反対で独自にこれからビジネス展開やろうという計画が潰れて離脱って話かもしれんし
当初から登記して立ち上がったら後進に譲って本社に帰る予定になってただけかもしれん。
(全部想像なので勝手に思い込まぬように)

なにがなんだかわからんけど、普通に考えれば法人化したってことは、昨年夏現在、今後もっと発展させていく気満々であっただろうことはわかる。
しかし、培ってきたオリジナルシステム捨ててCLOG化って流れは逆行してるようにも思う。
恐らくこのあたりに何か鍵があるのだろう。

今後(株)チャンネル北国が何で売上あげていくつもりなのか、それとも清算する方向で考えてるのか、そのあたりも含め、結構わしらの将来に重要な話なのかもしれない。  

Posted by highbiscus at 15:58Comments(2)TrackBack(13)weblog

2006年10月01日

チャンネル北国TVのリニューアル

2003年春にMovableTypeを使ったホスティングサービスとしてはじまったチャンネル北国TVは、実は日本初の舶来Blog文化のサービスです。
その後MTのライセンス問題で、急遽、blosxomベースのオリジナルシステムへ移行して今に至ります。

blosxomをバックシステムに使いながらもユーザーインターフェースなどを整え、blosxomを意識させずMovableType風に仕立てた現在のチャンネル北国TVのシステムはなかなか悪くない。
ここまでのユーザー数をきっちり捌いていることでも、動作実績がかなりあるシステムと言えるだろう。

その後、後発の各社が国産Weblogシステムを開発し、外販ということをしだしましたが、商売っ気あったなら、その位置に北国のシステムが来る展開もあったんじゃないだろうか。
なんせあの当時だと、ホスティング用の国産システムなんか無かったり、あっても実績で完全に上行ってたわけで。

 

しかし結局、北国のシステムは特に名称が付けられるわけでもなく、あくまで北国専用のツールとしてローカルに使われてきました。
途中、メインの開発者のかたが抜けたり、別の開発会社が引き継いだり、いろいろ裏ではあったようですが、地味に機能追加などは随時行われていたので、
元の開発者のかた(トオルさん)が抜けたあとも、ちゃんとプログラムの把握・開発はできていたのじゃないかなあと思います。

 
 
ですが、今回、北国がリニューアルするとのお知らせが、メールで会員にはきました(9月18日付)。


チャンネル北国tvが、新しくなります!
 
当サイトの将来への拡張性、機能の充実などを考え、
新システムへの移行を行うことになりました。
 
さらに便利に使いやすく、ブログ機能も新しくなりますので、
今後ともチャンネル北国をご利用いただけましたら幸いです。 
 
なお、新システムは、専門のサポート担当者が常駐し、Q&Aコーナーも
充実している「CLOG」という仕組みに切り替えることに致します。
 
移行期間中、皆さんには、いろいろとご不便をおかけすることになり
大変恐縮ですが、なにとぞご理解のほどお願いいたします。
 
※この仕組みを利用した参考サイトとして「てぃーだブログ」があります。
http://blog.ti-da.net/


現行システム廃棄みたいです。
シーポイントという会社が作っている「CLOG」というシステムに移行するそうです。
http://www.clog.jp/

要するにこれはASPで提供してるサービスで、独自にサーバ構えてやってた北国ですが、今後これに移してシステムは廃棄ということです。
うーんせっかくの独自性が無くなるなあ。

機能的に実際のところ上なのかなあ?
北国はMP3とかMP4とかアップできましたが、できなくなるようですし、たぶんアップロード容量に関する制限も今後できてくるね。
速度もどうなんだろ。結構ホスティング屋って重いところ多いけど、北国は常にそこそこのパフォーマンス出してて劣ってないです。
独自に欲しい機能を入れたりできる自由度を考えれば、既に立派なシステムあるなか、他社システムにするメリットあるのかなあ。

つーか、要するにコストカットかな。
システム外販もなく、自社用にしか使ってないシステムの維持費より、CLOGのレンタル料金のほうが安いだろうし。
(それ言うとCLOGみたいに北国も自社システムでASP形式でサービスやったらよかったのでは?みたいな気もするが)

 
なんかもったいないなあ。
許可貰ったり難しいのかもしれないけど、オープンソースにして公開したらどうじゃろう?
このWeb2.0(プだのなんだの言ってるご時世、このシステム公開すればそれなりに喜ばれそうな気がするんですけど。
トオルさんとか結構理解ありそうなんでOKしそうな気もするんだけど、どーやろ。
公開できるほどソース綺麗じゃないよーという話もあるかもしれないけど、そんなんどーでもいいねん。せっかくの長年培った成果が埋もれてしまうのが勿体無い。
ぜひ検討して欲しい事柄だ。

 
あと今回のリニューアルを期に、9月いっぱいでチャンネル北国TVの代表の佐藤さんが退任するそうな。
これもかなり雰囲気に変化ありそうだなあ。
親会社のカニ屋退職って話なのか、担当離れるってだけの話なのかはよーわかりませんが、お疲れ様でした。
俺の文章はよく偉い人とかから苦情くるので、世話んなってるのでなんか寂しいです。  

Posted by highbiscus at 15:54Comments(68)TrackBack(4)weblog

2005年08月23日

τ氏は文章が読めないのか?

なんか井上氏の解説について、
ソースコードもオブジェクトコードも著作権及びうるという部分に関し、
これはソースのみ著作権の範囲でなく、そのオブジェクトコード、つまり成果物もと述べた
ウェラン判決の判例を述べたものだね、と言ったところ、


「オブジェクトコードは画面の表示だと思ってる!!!」と意味不明な反応がきました。

言葉の誤用というか誤解@なゆきすと
http://na.yuki.st/lily/copyright/objectcode.html
ようやく、 はいびすかすさんが何を勘違いしていたかが判明した。
 
>ソースコードもオブジェクトコード(つまり成果物)であっても、著作権性のある要素をパクれば著作権侵害と言ってますね。
>あくま機能はアイディアだからコピーしていいのだ!と、オブジェクトコード、すなわち表示結果という表現のコピーを行うのは間違いと。
 
井上氏の解説で用いらていた「オブジェクトコード」という用語を、「プログラムが出力した結果」だと捉えていたのである。
 
これは少しでもソフトウェア開発をやったことのある人間なら、もしくは計算機科学を嗜んだ人間なら、誰でも異を差し挟むところだろう。
 
オブジェクトコードというのは「ソースコードをコンパイルして出来る、コンピュータが実行可能なコード」のことである。世間一般で使われている「バイナリコード」と同義と言っていいだろう。



はぁ?
ソースコードとの対比で、その「成果物」の部分をオブジェクトコードという話をしてるのに、
なぜ書いてあることを無視して「オブジェクトコードのうち、画面の*表示*のみがオブジェクトコード」と言ってることにしてはしゃいでるのか解せません。

ここで言う「すなわち」は、つまりオブジェクトコードである表示部分についても著作権性ありうると書いてるのでしょ?




もっかい彼が、なぜか「オブジェクトコードのうち表示結果だけがオブジェクトコードなのだ!」と俺が述べてると申す記事を見てみましょう。

単に102条bの表現侵害規制の判例を語ってるだけでしょ@highbiscus
http://ch.kitaguni.tv/u/116/weblog/0000257016.html

ソース、あるいはソースから生まれた結果物、どちらも著作性はありうるという米国のウェラン裁判における話だろ。
オブジェクトコード、つまり、ソースじゃなく、出来上がったソフトについて類似してない場合において非侵害になっただけで、
侵害があれば著作権侵害ですと述べている。


ソースコードもオブジェクトコード(つまり成果物)であっても、
著作権性のある要素をパクれば著作権侵害と言ってますね。


ソースコードとオブジェクトコードの対比を語って
ソースに対する成果物と述べておりますよね
ウェラン判決の判例の話です、と述べてるじゃん。


ウェラン裁判何度も用いてるでしょ?
この裁判は、ソースが違えば著作権違反とは言えないだろうと、元あるソフトを別のプログラムで書き直してどーだ!とやったのが著作権侵害とされた裁判です。
ソースだけでなくオブジェクトコードについても著作権ありうることを判断した判例です。
それを「ソース、あるいはソースから生まれた結果物、どちらも著作性はありうるという米国のウェラン裁判における話」と正しく明示し、さらに
「オブジェクトコード、つまり、ソースじゃなく、出来上がったソフトについて類似してない場合において非侵害になっただけで、侵害があれば著作権侵害ですと述べている」と正確な解説を述べてるのに、なぜあなたは文章を読まないですか。  

Posted by highbiscus at 03:12Comments(62)TrackBack(6)weblog

2005年08月23日

自分が読み間違ったのをこじつけとする人

あ、いしなおさんからTrackback来てたのか!
界隈とかと遊んでたから遅れてしまった(笑

返事来たのは、例の日本語読解。「すなわち」とか、本題とぜーんぜん関係無いところ(笑
ひじょーにプロレス的で嫌いではないが、この記事をWeblogのカテゴリ分けで、Weblogに入れることに非常に悩ましいのである。
まあどーでもいっか!


つわけでハンローン。

「文脈を読む」と「こじつけ」の境界@いしなお!
http://tdiary.ishinao.net/20050820.html#p01

「文脈を読む」と「自分の解釈を前提に文章を読む」とは違います。自分の解釈を当てはめるために、実際にそこに書かれている文章や言葉の意味を改変するのは、「文脈を読む」と言う範囲を超えた「こじつけ」です。


文脈でなく、単なるこじつけであるというためには、「脈」である正当な根拠が無い場合に限ります。


>一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,
>それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,
>著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。
 
が、
 
>著作性のある表現はソフトウェア表示画面においても保護されるべきである(I)
 
という意味を持ち、それはさらに、

>ソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である(II)
 
になるとするのは、あまりにも飛躍が大きすぎます。元文章→(I)は確かに元文章を要約したと言えますが、(I)→(II)は同じ文章ではありません。「著作性のある表現(である場合に)は」がもつ「限定」の意味が抜け落ちています。


この項は裁判所判断の最初の部分でまず、「ビジネスソフトウェアにおける表示画面及びその組合せの著作物性等」という部分で、ビジネスソフトウェア一般に表示画面や配列といったものに著作物性はあると言えるか?を述べた部分です。

ここは、「著作権の範疇であるか」という意味あいで書いてある部分ですよ。表示画面に著作物性はあるか?という部分です。
表示画面であればなんでも著作権があるわけではないのなんてあきらかではないですか。「音楽は著作権の範囲が及ぶのか?」という命題に、「音楽は著作物である」と述べたときに「偶然の音は著作権無いから、音楽は創意が認められる場合のみ著作物である!と述べるべきだ!」と指摘されても…。

ここが話題にあがったのが、「ソースのみ著作権の範囲か」「表示も著作権の範囲か」という連綿と続く話題であるのは異論無いと思います。
その前提で、「表示も著作権と書いてあるじゃん」と述べるのは何ら文脈上おかしくないですよね?
ソースのみか書いた文で、「も」とまで書いて、ですから。

 
ですが、いしなおさん的には、この部分の判決の文章は
表示の著作権の範囲を、思想又は感情を創作的に表現したもののみ!と限定することを述べた部分であるので、
このような書き方は間違いと述べる。

 
ここで整理しましょう。

判決文内のここの文意が「表示も著作権の範囲」を述べた文意であれば、当然「ソースのみか?表示もか?」という話題に関連して、「表示も著作権じゃん!」という表現がなんらおかしくないことはまず認めてくださいね。

ここがそういう意味でなく、あくまで限定することが意味であれば、それをはしょることはまずいとも細かいこと言えるかもしれません。
(どっちにしろ、そこを引用する意味合いが、ソースのみ著作権か?表示も著作権の範囲か?という話題で引用したわけですから、「表示も著作権って書いてある!」と言っておかしかないので、いちゃもんですが)


 
というわけで、以下、ここの文意が
イシナオさんの言うような、表示の著作権の範囲を、思想又は感情を創作的に表現したもののみ!と限定することを述べた部分ではなく
あくまでソフトウェアの表示も著作権の管轄する範囲である!と述べた部分であることを述べます。


・題名
ここは、「当裁判所の判断」の最初に、「1 ビジネスソフトウェアにおける表示画面及びその組合せの著作物性等」という題名での部分である。
そのまま読めば、ビジネスソフトウェアにおける表示画面や、組み合わせ(配列)に著作物性があるか?という意味に見える。

・「も」
上記に加え、まずいきなりこの提示がくる。
ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。


「も」ということは、画面(ディスプレイ)上に表現される影像について*も*またそうであると述べた部分である。
その「またそうである」は何に対して「また」なんでしょう?何に対して「も」なんでしょう?
題名の「著作物性」を書いた部分であることを明言してることとあわせれば、音楽や詩といった既存の著作物性が認められているジャンルに対して、「も」なのでしょう。
あるいは「ビジネスソフトウェア」とありますからゲームソフトに対して「も」かも知れない。
なんにせよ既存の著作物性を認められているような分野に対する「も」である。


・「思想又は感情を創作的に表現したもの」
「思想又は感情を創作的に表現したもの」とは、著作権法のはじめに著作権で保護するもの(=著作物)の定義として出る言葉である。
すなわち、「も」と合わせ、他のジャンルに等しく、ビジネスソフトウェアにおいても著作性のあるものは当然著作権の保護が及ぶという話である。
単にビジネスソフトウェアにおいても、著作権法に定めるとおりと書いてあるだけで、なんら特別な表現ではないです。

「思想又は感情を創作的に表現したもの」は著作物として認めるべき、と書いてますが、
これは著作権の範疇であると述べてるだけにしか取れません。
「思想又は感情を創作的に表現したものは著作物として保護する」が著作権法に書いてある内容で、それを同じく書いてあるだけですから。
「ビジネスソフトウェアの表示についても、著作権法の通り」という内容です。
著作権法ざっと見たことあれば、こんなおかしな読解はせんでしょう。


・各場合において*も*と載っている
上記のようにビジネスソフトの表示の著作権性を述べたのち、各詳細の場合についての詳記が続く。
すなわち美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものであり,いわゆるコンピュータゲームにおいて画面上に表示される影像などには美術の著作物に該当するものも少なくないが,この点は,いわゆるビジネスソフトウェアについても同様に当てはまるものということができる。


このように「を備える*場合には*」著作物のうち美術の著作物や図形の著作物にあたることを述べ、これらがビジネスソフトウェアについて*も*該当することを述べる。
つまり、逐一著作権法に当てはまることを述べているのであって、決して制限を申している文章ではありません。


これらが「ア」段でありますが、イ以降で、その制限や判断基準が述べられています。
ア段はひたすらにビジネスソフトウェアという分野について、著作権法の管轄する範疇であることを述べています。
よって、なんらおかしくなく、イシナオさんが読解おかしいのを無理やり難癖付けてるだけです。

「も」とあるんだからちゃんと読みましょうよ。
イシナオさんの言うように、表示について著作権を認めるためにはこのような要件が必要、という意味の文章なら、「も」は不要です。
一度「も」を抜いて考えてみれば、「も」が入る文意が何なのか分かります。



 
 

次に、「すなわち」についても誤読を認めません。

>この「すなわち」は、前半のソフトウェアも著作権の範疇であるという論旨を受け、
>さらに、であるからして、著作権に定められたように、美術的要素や学術的要素なら、美術の著作物にあたるし、図形に著作物にあたるであろうってこと。
 
に関しても同様です。自分の解釈は正しいから、この文章における「すなわち」は、「さらに、であるからして」という意味を持つ、という読み方は正しくありません。もしそう読みたい(「さらに」という添加の意味を持つとしたい)ならば、判決文の「すなわち」という言葉の選択は、間違っていると主張するべきでしょう。


すなわちは、前段の意味を受けて、それを詳細にまたは別の観点から言う際の接続に使う語です。「つまり」に似た意味の語です。

前段「ビジネスソフトウェアの表示も著作権の範囲である」を受け、
著作権の範囲ということは著作権が規定するように、「美術の著作物」や「図形の著作物」*にも*あたるという文面になってます。
「すなわち美術的要素や学術的要素を備える*場合には*」ですからね。


ちなみに「著作物」を述べた「思想又は感情を創作的に表現したもの」にあたると前段で明言しているが、一方こちらの「美術の著作物」や「図形の著作物」は、著作権法では、前段の「著作物」という部分に対し下位概念として並んでいる要素である。

第一節 著作物
(著作物の例示)
第十条 この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。
  t一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
  t二 音楽の著作物
  t三 舞踊又は無言劇の著作物
  t四 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
  t五 建築の著作物
  t六 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
  t七 映画の著作物
  t八 写真の著作物
  t九 プログラムの著作物


 
決して、イシナオさんが言うような、
「ソフトウェアの表示面の著作権性は思想又は感情を創作的に表現したものに限られる狭いものであり、
それはつまり(すなわち)、「美術の著作物」や「図形の著作物」である場合に限られるというべきである」
なんて意味ではありません。

どこに下段に限定が書いてあるのか?下段では「○○の場合には、□□という可能性がある」と書いた文面になってます。これを「すなわち」で限定の文意と結んでは、
「A文とB文の間の接続語を埋めなさい」という国語のテストならペケです。
 

「○○の場合にのみ△△に限定される」
「すなわち」
「□□の場合は☆☆にあたることがあり得る」

じゃおかしいんです。

「○○の場合にのみ△△に限定される」
「すなわち」
「□□の場合にのみ☆☆にあたる」

じゃないと。「場合は」「あり得る」という文字列が入った可能性論と繋がらないですよ。
俺の読解

「○○は△△にあたる」
「すなわち」
「□□の場合は☆☆にあたることがあり得る」

なら、接続正しいですが。

 
イシナオさんの言う意味なら、こうなる

ソフトウェアの表示面の著作権性は思想又は感情を創作的に表現したものに限られる狭いものである。
すなわち美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものである



これでは、「場合には」「あり得るものである」が明らかにおかしいです。
前半が限定を言った意図で、すなわち(つまり)で結んで、後半が可能性があると言うのでは繋がりません。

これならヨシ

ソフトウェアの表示面の著作権性は思想又は感情を創作的に表現したものに限られる狭いものである。
すなわち美術的要素や学術的要素を備える場合にのみ,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当するといえる



前段が限定性を言ってるのであれば「あり得るものである」という可能性を語ってる表現はおかしい。
前段に対し、「つまり」の文面にするためには、「場合には」とか「あり得るものである」という文字列廃さないといけない。

あくまで限定性を言った文面でないものを「すなわち」で繋がるのだ!ってのを堂々言える神経を疑うよ。
ここの部分の文章はそんな意味合いの部分ではありませんよ。


 
 
あと、元々のこの「表示は著作権」が「ソースのみ著作権か?表示も著作権か?」という命題の解として述べたのは前後から明白です。
まずJUGEMの独自タグのような、ある目的のための独自の方法が、表示として認められるものであることを判例用いて述べ、
その上で、ソースでなく表示は、著作権の範疇であることは明快に書いてありますと述べたものです。
いしなおさんはそれに対し「著作権に当たる場合は限られるってそこは書いてあるのだ!」と言ってきましたが
いつ俺が「表現でない(創作的要素の無いものが)表示が著作権に当たる!」なんて述べているのでしょう?
そんなことは*一度も*言ってませんので、「はいびすかすさんは、表示でない、創造性の無いものでも著作権に当たると言ってる!」とはしゃぐのは、まさに日本語不自由?ということです。

ビジネスソフトウェアの表示面について、
「他の分野と同じく、著作権の適用範囲である」というのと
「他の分野と同じく、創作性のある要素はある要素には著作権性がある」
というのは結局どちらも、他の分野と同じく扱う、と述べているに過ぎません。
「創作性のある要素はある要素には著作権性がある」というのは、単に他の音楽や小説など別分野と同じ基準であると述べてるにすぎませんから(ソフトウェアだけがそのような制限があるのではなく、他も同じです)、これをもって、表示も同じ!と述べてなんらおかしくありません。

結局いしなおさんと俺の、ソフトウェアの著作権性に関する現在は(過去はソースだけとか言ってたが)認識は同じでしょう。
しかし、この文章を持って、俺の言がおかしい!と言い出す論理は筋が通らないわけです。
俺の文章表現はこの場合の用例として別段なんらおかしくないわけです。
「表現でない(創作的要素の無いものが)表示が著作権に当たる!」と述べていれば、間違ってる!と言ってよいですが、そんなこと一切言ってないわけで、*表現であれば*をまずやってオブジェクトコード(ソースからの成果物、すなわち表示面)*も*著作権と載っている、と書いてありますので、まさに「文脈読め」なわけです。
「文脈読め」以上の「文字通りの文章正しく読め」です。

言ってないことをあたかも言ったかのように部分引用して、それはおかしい!と言われても
前後の文章があるわけですから、「文脈読め」になっちゃいますよ。
「表現でない(創作的要素の無いものが)表示が著作権に当たる!」なんてどこに書いてますか?
あくま表示面というもの著作権の適用範疇であるとしか述べていないはずです。  

Posted by highbiscus at 00:28Comments(13)TrackBack(0)weblog

2005年08月22日

単に102条bの表現侵害規制の判例を語ってるだけでしょ

なんか例のミスター半可通τ氏が、井上氏は米国判例をまっとうに解説してるだけなのだが、なぜか変な解釈をしています。
たぶん井上さんに聞いたら(米国の102条bを巡る判例知ってるだろし)、否定してくれそうな論理だけど笑(

日本語読解2 - 米国著作権法102bとはなにか@なゆきすと
http://na.yuki.st/lily/copyright/nihongo2.html


まず井上さんの102条bに関する注釈全文。
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_copyright_law.htm#%81i%96%F3%82X%81j
102条(b)項は、著作権が保護するのは表現であり、アイディアではないという著作権の本質の一つを明らかにした条文である。最近のアメリカの裁判所はプログラムの著作権侵害事件において、102条(b)に基づいて発展したアイディア・表現二分法により、非侵害と判断する場合が多い。しかし、いずれのケースも、ソースコード、オブジェクトコードが類似していないことに注意すべきである。プログラムは何らかの機能を有しているのであり、ソースコードあるいはオブジェクトコードの表現の複製、翻案を行えば、それに伴って、その機能もコピーされる。この場合、プログラムの機能はアイディアだからアイディアのコピーであり著作権侵害ではないといえるだろうか。もちろん著作権侵害である。102条(b)はアイディアだけを利用するのは著作権侵害ではないという意味であり、アイディアが含まれていればその表現をコピーしてよいと規定しているわけではない。ソースコード、オブジェクトコードの表現が類似していなければ、つまり、オリジナルな表現でプログラムを作成すれば、同一の機能のプログラムを作成しても著作権侵害が問題になることはないが、ソースコード、オブジェクトコードにアクセスし、かつ、その表現が類似していれば、プログラムの著作権侵害である。


これは米国判例では102条bをめぐる拡大解釈を諌める判決多いですから、それを述べた部分であることは、まあ変なバイアスかかってなきゃ分かる。


次に、τ氏の部分的な読解。

最近のアメリカの裁判所はプログラムの著作権侵害事件において、102条(b)に基づいて発展したアイディア・表現二分法により、非侵害と判断する場合が多い。しかし、いずれのケースも、ソースコード、オブジェクトコードが類似していないことに注意すべきである。


ここは、非侵害と判断されたケースは、全てソースコードやオブジェクトコード(いわゆるバイナリ)が類似していなかったことに注意すべきである と言っている。「注意すべきである」とはつまり、ソースやバイナリの非類似性は重要なポイントだということだろう。「ここテストに出るからね〜」というのと同じだ。


ソース、あるいはソースから生まれた結果物、どちらも著作性はありうるという米国のウェラン裁判における話だろ。
オブジェクトコード、つまり、ソースじゃなく、出来上がったソフトについて類似してない場合において非侵害になっただけで、侵害があれば著作権侵害ですと述べている。
AppleII裁判、ウェラン裁判等を経て、102条bの解釈により規定された、アイデアと表現の切り分け法が現在では確立しているって話を言ってるだけですよ。
ウェラン裁判の方法も、その後の3段階テストも102条bの切り分けの発展系ですので。
俺がさんざん用いた各種判例の話をしてるのでしょう。




プログラムは何らかの機能を有しているのであり、ソースコードあるいはオブジェクトコードの表現の複製、翻案を行えば、それに伴って、その機能もコピーされる


この場合、プログラムの機能はアイディアだからアイディアのコピーであり著作権侵害ではないといえるだろうか。もちろん著作権侵害である。


どういう意味だろう? まず、「この場合」と言っているから、これは、一つ前の文の「コードを複製・翻案して機能をコピーした」ことを前提にしていることを示している。その後の部分では、「それは著作権侵害ではないと言えるだろうか、いや言えない」と述べている。
 
どういう意味だろう?
 
要するにこの部分は、ソースコードやバイナリのコピーは、アイディアのコピーだから表現のコピーじゃないよ、なーんてことはないよということを述べているだけに過ぎないのだ。



どういう意味だろう?というかそのままの意味で
プログラムとはなんらかの機能を有しているのはあたりまえであるが、ソースや表示をコピーして、これは機能(アイディア)のコピーであるからいいのだ!って論理は間違いで、それは著作権侵害です、と述べている。まあそのままだ。


さてここまでが前置き。そして以下本題。

102条(b)はアイディアだけを利用するのは著作権侵害ではないという意味であり、アイディアが含まれていればその表現をコピーしてよいと規定しているわけではない。ソースコード、オブジェクトコードの表現が類似していなければ、つまり、オリジナルな表現でプログラムを作成すれば、同一の機能のプログラムを作成しても著作権侵害が問題になることはないが、ソースコード、オブジェクトコードにアクセスし、かつ、その表現が類似していれば、プログラムの著作権侵害である。


ここまで読むと、一貫して「ソースコード、オブジェクトコード」について述べていることはわかるだろう。そして、以下の様に結論づけている。
 
* ソースコード、オブジェクトコードが類似していたら、著作権侵害。
* ソースコード、オブジェクトコードが類似していなければ、同一の機能のプログラムであっても著作権侵害ではない。
 
(この後の例えの部分については、小説における「表現手法」が何を指しているかちょっと分かりかねるので、言及は避けておく。まぁ例えだしね)
 
結局、井上氏の解説は 「ソースコードやバイナリのコピーは著作権侵害だよ。アイディアだからという言い訳はできないよ」と言っているに過ぎないのである。


ソースコード、オブジェクトコードの表現が類似していなければ、つまり、オリジナルな表現でプログラムを作成すれば、同一の機能のプログラムを作成しても著作権侵害が問題になることはないが、ソースコード、オブジェクトコードにアクセスし、かつ、その表現が類似していれば、プログラムの著作権侵害である

追記
 
また都合よく誤解されそうなので、念の為言っておくが、井上氏は更に 「ソースコードやバイナリをコピーしなければ、著作権侵害じゃないよ」と言っていることもお忘れなく。



ソースコードもオブジェクトコード(つまり成果物)であっても、著作権性のある要素をパクれば著作権侵害と言ってますね。

で、「ソースコード、オブジェクトコードが類似していなければ、同一の機能のプログラムであっても著作権侵害ではない。」というのが分かってない。

そうでなく、見たまま「オブジェクトコードが類似していれば、同一の機能のプログラムであっても著作権侵害」と102条bの適用の制限を語ってるのである。
あくま機能はアイディアだからコピーしていいのだ!と、オブジェクトコード、すなわち表示結果という表現のコピーを行うのは間違いと。

102条bの制限を書いてる文章なんだから、ちゃんと読もうよ。
つまり、AppleII裁判等で語られている、「方法」だからいいはず論理のはなしじゃよ。

「102条(b)はアイディアだけを利用するのは著作権侵害ではないという意味であり、アイディアが含まれていればその表現をコピーしてよいと規定しているわけではない」
表現の著作権性を狭める目的で用いるのは誤用、という各種判例を述べてるだけでしょ。  

Posted by highbiscus at 15:35Comments(16)TrackBack(0)weblog

2005年08月22日

この人やっぱ著作権分かってないわ笑

以前の記事で、テンプレ変更型ツールにおけるどういう仕様にするかという個別仕様は、創作性のあるもので、表現であるというのを、お面の図で描きました。
http://ch.kitaguni.tv/u/116/weblog/0000252723.html

そしたら例示としておかしい!と明らかに著作権が分かってない指摘がまいりました。

「テンプレート」というものの比喩@なゆきすと
http://na.yuki.st/lily/copyright/metaphor.html
何の比喩にもなってないやんけ!!@なゆきすと
http://na.yuki.st/lily/copyright/metaphor2.html

まず前のほうの記事では、テンプレデータを挿入するとディスプレイに顔画面を表示するモニターみたいののイラスト書いてくれて、お面のメタファーはおかしい!と言ってます。

はぁ?
何らこの論旨において両者の指し示すところはかわんないんですが…

どっちでもいっしょでしょう。
米国の判例で規約例外部の解釈について

>望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,
>そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない

とあり、規約例外がなにも目的を達成するために選択された
対案がいくらでもあるような独自の方法を表現でないとするものではないので

JUGEMのタグ構造はなんら同様のテンプレ切り替え型Blogツールというアイデア実現に必須ではないので
sbの模倣は表現の模倣でしかないです。
ちょっとこれの違いを言う意図がわからないのですが…


…と思ったら


τ
「でこぼこのついたお面」がミスリーディングだということを示す為に立てたエントリです。どうミスリーディングなのかについては別のエントリで後述します。


と次の記事がドドーンと。



直前のエントリで、テンプレート互換ソフトウェアについての当方の比喩を述べたが、「こんなの比喩じゃない。元のソフトの性質をそのまま図にしただけだ」と思う方もいるだろう。だが、「表現か否か」という点において、これ以上別の形でこの問題を抽象化することは不可能だと考える。少なくとも、 はいびすかすさんがやったような「裏面にでこぼこのついたお面」と「そのでこぼこにはまるような板」の比喩は明らかに正しくないとだけは言える。
 
何故か。


こう自信満々に来て…

確かに「でこぼこの付いた板」を見れば、「どの様なお面がそこにはまるのか」を直接感得することはできるだろうし、同じ機能の「板」を実現しようとすれば、見た目もほぼ同じにならざるを得ないだろう。しかし、それはJUGEMとsb について同等に言えることではない。
 
JUGEMやsbによって出力されたHTMLを見たところで、テンプレートの仕様を分かる人間はいないし、JUGEMとsbで出力されたHTMLがほぼ同一だという話も未だ聞こえてこない。そして本来、「でこぼこの付いた板」に当たるのはJUGEM やsbといったソフトウェアのソースコードであろうと考えられるが、果たして「板」の様に、見た目明らかに同じものになっているだろうか。また、そこから「JUGEMのテンプレート仕様」を「直接」感得でき得るだろうか?


orz

著作権ってどういう権利なのかなんら理解してないのダダ漏れすぎですよ…
法律論を一番吹っかけてくるくせにいつもこれだから、τさんにはいっつもガッカリするよ。


テンプレート切り替え型Blogツールってのは、そのタグ構造によってテンプレートを自在にカスタマイズして楽しむツールなわけですよ?
体感するに決まってるじゃないか…

ユーザーがJUGEM由来のそれを体感できないのであればともかく、思いっきり同じように使えますよ!という売りのツールでしょうが。

タグ解説がなんで各ツールしてあるのだよ。
JUGEMのそれがそのJUGEMの使い勝手に直結するJUGEMを体感させる「表現」であるのは異論挟みようが無いよ。
それと同じ感覚で管理できるsbの手法が著作権侵害に当たらないわけないだろう。

JUGEMのユーザーがなぜsbにみんな流れるのか考えましょう。

 
由来する創作性を感じられる要素について、同じ体感が他者で得られるとき、著作権侵害が成り立ってるといいます。
まったく見えない感じられないならば体感できないと言えますが、JUGEMの独自タグによるテンプレート切り替え型ツールを成す表現は、sbで同様に体感できまくりですよ。
体感ってのはそういう意味で言うんです。

 
さらに、であるからソースの書き方の違いでしか表現の違いは体感できないとする。
なんのためにウェランやらアルタイの判例出して読ましたのだよ…
ソースだけ論は明確に否定されきった理論じゃないか。

テンプレート仕様」については、両者のソースコードを読み解けば、専門知識のあるものなら同一だと分かるはずだ。だが、そこで分かる「テンプレート仕様」というのは「表現」なのだろうか。
 
例え話をする。ある小説AとBがあって、どちらも「思春期における恋愛と学業の両立についての悩み」を題材にしたものだったとする。標準的な国語力のある人間なら、AとBで語られている題材が同一であることは理解できるだろう。だが、だからといって「思春期における恋愛と学業の両立についての悩み」という題材は表現なのか?語っている題材が同じだからといって、「表現の模倣」として著作権侵害と扱われたという話はそれこそ聞いたことがない。



ここで言う題材とは「テンプレート互換型Blogツール」という目的だろう。
それの個別表現であるそれぞれの実際に書いてある文章をパクるのは著作権侵害つーのだよ。
幽霊出てくるホラー映画は全部著作権侵害なんて言ってないでしょ?
ビデオを見たら感染して死んでいく貞子って幽霊の話って表現をパクったら著作権侵害って言ってるんだろう…

その例示使うなら、実際のどういう文字列にするか?といった個別の表現を模倣してるわけだから、中身の文章を丸々複写して持ってきた場合だろう。
それが著作権侵害にあたらないわけないだろう。
なんでこれが例えになってると思えるのか。  

Posted by highbiscus at 13:23Comments(2)TrackBack(0)weblog

2005年08月22日

その「目的」によって「表現」か「方法」は変わりうる

sb関連記事のコメント欄でずーっと書き込んでくれてた「τ」って人が、やっとウェブロ作ってTrackback送ってくれたよ。

これまでサイボウズ裁判について
τ「判決にそんなこと書いてありません。どこですか?」 → 俺:はい、引用 → τ:スルーして他の話題
を幾度となく繰り返して、法的には!とか繰り返すけど、明らかにちゃんと読んでないし、絶対法学部じゃないよな(笑とその半可通ぶりをさんざんコケにしまくってきましたが、ちょっと見直した。
(というか、全員ちゃんと堂々意見ぶつけてくれる人は、プロレスラーなんでアホボケ言うけど、意見違えど尊敬してるぞ)

基本的にいしなおさんの言ったことマネるだけの人が多いんで、まずいしなおさんに取り合えず納得していただきましょうかと、いしなおさん以外は雑魚!みたいな扱いでテキトーに「バーカバーカ」言ってきましたが、敬意を表して先にお返事したいと思う。
(別に誰に対してもスルーする気は無いよ。積ん読状態なだけでお楽しみがいっぱいでワクワクしてるが、俺は一人なので順番がってだけよん笑)


さて、茶化しはこのくらいにしまして(笑
なかなか判決文は部分しか読まないけど、おもしろいことを言う人だとも思う。
というわけでじっくり返信しようと思う。


「テンプレート互換」と「インポート可能」 @なゆきすと
http://na.yuki.st/lily/copyright/compatibility.html
1. JUGEMと全く異なるテンプレート機構を持ったソフトウェアが存在し(SomeBlogとでも名付けましょう)、
 JUGEMのテンプレートデータをSomeBlogのテンプレートデータに変換するツールを後から作製して提供した。
2. 1におけるSomeBlogと変換ツールを一緒に配布した。
3. 1における変換ツールをSomeBlogの標準機能として本体に統合し、内部で自動的にSomeBlog自身の
 テンプレートデータに変換して表示できるようにした。
3'. SomeBlogの設計を変更し、SomeBlog自身のテンプレートデータとJUGEMのテンプレートデータを変換する
 ことなく等価に扱えるようにした。
 
123それぞれの場合において、
a. はいびすかすさんがおっしゃるところの「テンプレート仕様の著作権」を侵害したことになるかどうか
b. 「一太郎でOfficeのファイルが印刷できる」(つまりOffice固有のファイルフォーマットが一太郎から利用できる)こととの違い
について考えをお聞かせ願えないでしょうか。


おもしろい!おもしろい視点だと思う。
しかしインポートに関しては俺は「思う」くらいしか言えないよ。あくまで裁判官ではないので、判例用いないとなんとも言えないから。そこは前提として押さえてください。

まずこれを考えるうえで、大事なのは、それが「方法」なのか?「表現」なのか?だと思います。
すなわち著作権法102条bの「方法」を除外した部分。ただしその意味するところとして「表現」でしかない場合はその限りではないとある。

なのでまず前記事で102の解釈判例複数用いまとめた102条bの意味を書いたものを参照ください。
http://ch.kitaguni.tv/u/116/weblog/0000256977.html


結論から言えば、その用い方が、「表現」であれば著作性あるし、表現でなく「方法」であれば可である可能性があるってことかと。

まず前記事でもまとめたように、複数の方法があってそこであえて選ばれたような方法は、単に表現であって、102条を用いてパクルのは誤用というのは判例から言って間違いのないところだと思います。

ではインポートはどうなのか?
確かにエミュレータという類のソフトウェアはある。(法的にグレーなのかどうかはよくしらんよ?)
とすればいいのかなあ?という気もする。なので上記判例との整合性を考えるとこうなるのではないか?という予想をこれから述べる。

 
まず1、2、3は可。
JUGEMの「表現」をパクるのがダメって話であって、JUGEMにあるのは「テンプレート切り替え型ツールをどう成すか?」という、その「目的」に対する「表現」であって
インポートにおける目的は「JUGEMのファイルを自動取得する」という「目的」でしかない。
「JUGEMのファイルを自動取得する」という「目的」に対し、「JUGEMのデータをフォーマットに従って読む」という「表現」は融合が成立していますから、これは表現ではない。

で、3.はクロ。
JUGEMがJUGEMタグで表現している「目的」とは、「テンプレート互換型Blogをどう成すか」という目的である。その「表現」に著作性があると判例ではなっている。
内部ロジック的にどうあれ、3ではJUGEMタグによるテンプレ管理機能を持つわけですから、表層的には、JUGEMというソフトウェアの「表現」の模倣になるためクロと思われる。

ソフトウェアに限らない著作権の大前提なのですが、あくまで使う側が同じ体感を得るか?が問題なのである。実際に体感できないロジックは関係無いのだ。
あくまで著作性のある要素について、その体感を他者が得られるとき、「著作権を侵害されている」というのである。

その大前提に基づけば、やはり3ではJUGEMの持つ表現と同じものが体感できてしまうので、著作権の侵害にあたると考えられます。


次に3'. ですが、これは3がクロなんだから3のと同様な表現があるので当然クロ。
これはつまり、例えれば、MacOSには著作権があり、Windowsにはまた著作権がある。画面モード設定機能でWindowsに画面がMacOSそのままになるモード取り付けたら著作権侵害ではないか?というような話。なので3と同じ。



 
 
このように考えるがいかがか?
インポート機能に関しては、あくまで目的はなんなのか?を基準に、それが方法であるのか表現であるのかは判断しなければならない。
つまり、同じ「独自タグ」という要素を使っていても、その際の目的が何か?によって、方法なのか表現なのか変わってきうるということだ。
またその際に、判例からは、「表現」の範囲を狭める用途で用いるのは誤用とありますから、インポートという機能が、独自の「表現」にかからないことが肝要かと思う。

JUGEMの独自タグという表現は、テンプレート変更型Blogツールという目的に対する表現であろうので
その規則自体を読むことに著作権侵害があるのではないという解釈ではないかと思う。
あくまで「表現」を侵害しない範囲であれば、規則を利用することは適法の範囲ではなかろうか。

JUGEMの「テンプレート変更型Blogツール」という目的に対する独自タグという方法は、個別の表現であることは前記事でも述べた。
判例より「各種方法ある場合に選ばれた特定の方法は表現であり102条の定める方法ではない」わけだから、これを侵害する形でJUGEM独自タグを用いてはいけない。
ですが、そうでない目的においてそのフォーマットを利用するのは、なんらかの表現を侵害しないのであれば許容されうる。





最後に、b. 「一太郎でOfficeのファイルが印刷できる」(つまりOffice固有のファイルフォーマットが一太郎から利用できる)こととの違いについて俺の解釈を述べます。
既に述べてきましたように、ファイルフォーマットが利用できることがすなわち「方法」か「表現」かなのではなく
何が目的のそれなのか?がその判断基準です。


102条bの解釈としてAppleII裁判ではこう述べられ
表現と融合して,その表現の著作権取得能力を失わしめるアイディアとは,その表現の対象たるアイディアである。オペレーティング・システムのひとつにおけるアイディアとは,例えば,ソース・コードをどうやってオブジェクト・コードに転換するか,といったことである。このアイディアを表現する方法が実際的にいって他にもあるとしたら,そこには融合現象はないのである。


ウェラン裁判ではこう述べられます
そのものが伝えている技術(例えば,会計処理の方法)が,その本に書かれている方法や図表その他同様のものを使わないと使えないものであるときには,かかる方法や図表はその技術に不可欠なものとみなされ,公衆に与えられたものとみなされる。
 この基準をあてはめて,最高裁は,ブランク・フォームは原告Seldenの会計の方法に不可欠のものであるとし,従って著作権の保護を受けられない,と判示した。
 
Baker v. Seldenでの最高裁の基準は,アイディアを表現から区別する方法を示唆している。原告Seldenの本が達成しようとした目的に,Baker v. Seldenでの最高裁は焦点をあてて論じているが,それと全く同じように,本件で問題になっている著作物が達成しようとしている目的に関して,アイディアと表現の区別の線は引かれうるものである。


この原則にあてはめれば、Officeのファイルをリードするという目的において、Officeのファイル形式を読み取るということは必然的な「方法」です。
ですが、テンプレート切り替え型Blogツールという目的において、JUGEM独自タグというのは必然的な「方法」ではなく、「表現」です。

もちろん「JUGEM互換のBlogツールを作る」という目的においてJUGEM独自タグとコンパチにすることは必然的方法でしょうが、
著作権のある表現を狭める目的での用法を誤用とされているわけで、テンプレ互換のためと、JUGEM独自タグによって管理するBlogツールを制作することは表現の侵害にあたります。
これはつまり、「Office模倣ツールを作るために必要なのだ!とOfficeのデッドコピーを作る正当性」と同じです。
「著作性のある表現を侵害するため」という目的に必要だという理由でこの論理を用いてはならないのです。
「JUGEMタグ互換のBlogツール」という目的がすでに、JUGEMの表現に当たる部分ですので、表現を狭める目的で102条bの「方法除外」を用いるのは誤用ですから、おかしいと。


一方インポート機能ですが、この「インポート機能用にJUGEM用のテンプレを読む」という目的が、なんらかの表現の侵害にあたるのか?は意見の分かれるところかもしれません。グレーと言えるかもしれませんし、ここは自分も明確な判例無いのでなんとも。
ただ、個人的には、あくまでそのソフトウェアの「テンプレート切り替え型Blog」としてに別個の独自の表現手法が存在する場合には、単にこのようなインポート機能においてフォーマットは単なる「方法」でしか無いのではないかと思います。
この場合Officeのファイルを読み込めるのと同じという解釈は成り立つのではないかと。(テンプレートのインポートが、そのテンプレ管理方法という表現に多少なりとも被る、という解釈もありうると思いますし、そういう意味ではグレー分は無いでは無い)


あと、あくまでOfficeのファイル読めるのは、ソフトウェアがOfficeになるのとは違うので全く違う話です。
Officeのファイルフォーマットを読み込むために、ワープロソフト自体がOfficeと同じ機能でなければならないならともかく、あくまで一太郎は一太郎で、なんらワープロソフトとしての「表現」を模倣していないことが肝心です。
対してテンプレート変換型Blogにおけるテンプレート形式をいかにするかは、つまりはそのソフトウェアのテンプレカスタマイズ機能であり、これはそれぞれのソフトの表現ですから、模倣して著作権侵害にならないとは思えません。  

Posted by highbiscus at 12:45Comments(8)TrackBack(0)weblog

2005年08月22日

米国著作権法102bとはなにか?

JUGEMがテンプレート切り替え式Blogツールという目的を達成するために用いた、独自タグを中心にした表現について
著作権法の規約例外にあたるため、規約なので著作権性は無く、パクリOKだ!という理論がある。

この規約や解法の著作権性を否定した例外事項ですが、日本ではここの意味する範囲の判例が無い。
しかし日本のソフトウェア著作権法は米国圧力で米国追従でできた経緯があり、米国の著作権法と対応している。
それが米国著作権法102条bという条項。
こちらは幾度も判例が豊富にあり、102条の意味するところと、適用の範囲が述べられている。

今回はこの規約例外、著作権法102bとは何か?を判例などからまとめたいと思う。



著作権法第10条第3項前段
http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
第1項第9号に掲げる著作物に対するこの法律の保護は、その
著作物を作成するために用いるプログラム言語、規約及び解法に及ばない。


ここはすなわち米国法におけるこの意味。

米国著作権法102b
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_copyright_law.htm#%82P%82O%82Q%8F%F0%81i%82%82%81j
オリジナルな著作物の著作権の保護は、その著作物の中で、記載され、説明され、図解され、又は具体化された形式に関わらず、アイディア、手順<procedure>、プロセス、システム、操作方法、概念<concept>、原理、発見には、決して及ばない

(上記訳の井上雅夫氏の102条の訳注も参考になるので見るといいだろう。俺が言ってることと同じことを言ってます。まあ米国判例見ればそのままでなんら特殊な解釈じゃないんですけど)


 
ここの意味するところは、表現を実現するための「方法」は、表現そのものではないよ、と述べたものであります。
プログラム言語とか、システムとか、原理とか、規約とか、全部そういった表現のための「方法」を書いたものですから、ここは「方法」は保護しないというのが骨子。

ここで問題になるのが、その範囲である。
 

名裁判として名高い、AppleII裁判で互換機側はOSは「方法」であるとし、著作権所持能力が無いと主張しました。
その際に裁判所はこの102条bの意味するところとして、以下のような判断を下します。

http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000070.html

102条(b)の底流をなすもの,およびBaker v. Selden判決が引用されている論述の多くのものは,特許と著作権との区別 をどこに引くかという問題であり,前者は発明を保護するのに対して,後者は,かかる発明を記述した作品を保護するものである。しかし被告の議論は,この区別 を本件に誤って適用したものである。


このアイディア/表現の区別は,今日では102条(b)において明示に認められているもので,そこでは,著作権は「いかなるアイディア」に対しても認められないとされている。この条項は,著作権の保護の範囲を拡張ないし縮小すべく作られたものではなく,「表現とアイディアの間の基本的な区別がいまも不変であることを……確認して述べたもの」である


まずこのように102条bが「著作権」(つまり表現)の範囲を狭める意図の意味あいでないことを述べ、被告主張が誤用であること述べる。次に

我々は,上記の文言における示唆を受け入れ,従って,アイディアがいろいろな表現をとりうるか否かについて注意を集中する。もしも,原告のオペレーティング・システム・プログラムと同じ機能を果 たす別のプログラムを書いたり創作したりすることができるならば,そのプログラムはアイディアの表現物にあたるのであり,著作権取得能力のあるものということになる。


と、その目的が別の表現で可能である場合、それは表現物でしかないとする。

つまり、いくらでも別の表現をとりうるようなものは表現であって、そのアイデアにおける「方法」とは言えないと言う。
JUGEMの独自タグ構造にあてはめれば、テンプレート切り替え型Blogツールという目的を達するに当たって、なんらJUGEMが用いた表現は必須な方法ではなく、すなわち表現でしかないとなる。


さらにのちのウェラン裁判でも102条bの解釈が述べられている部分がある。
(ウェラン裁判はソフトウェアの画面表示についても著作権能力があることを判断した、今の解釈に続く画期的裁判であるが、一方でその表示の判断方法に制約が無いことから、アイデアの独占に繋がる恐れがあり、のちのアルタイ裁判で融合表現などを逐一判断して制限を設ける3段階テストの著作性認定方式が確立したことを記述しておく。しかしなんら102条bの解釈をおこなった部分はBaker v. Selden裁判、上記AppleII裁判から続く判断を追認したにすぎず、以後覆す判断もないことから、なんら異論の無い102条bの判例における従来からの定説であろう)


http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000120.html
望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない。



AppleII裁判や、AppleII裁判やこのウェラン裁判でも用いられているBaker v. Selden裁判でも用いられた理論を繰り返しているだけの内容であるが、
このようにたびたび102条bの方法と表現の判断基準は一貫して米国判例では述べられていてJUGEMの独自タグという方法が、単に表現に属するものであることが分かる。


さらにBaker v. Seldenの最高裁判決からウェラン裁判は102条bの解釈をこう述べる

そのものが伝えている技術(例えば,会計処理の方法)が,その本に書かれている方法や図表その他同様のものを使わないと使えないものであるときには,かかる方法や図表はその技術に不可欠なものとみなされ,公衆に与えられたものとみなされる。
 この基準をあてはめて,最高裁は,ブランク・フォームは原告Seldenの会計の方法に不可欠のものであるとし,従って著作権の保護を受けられない,と判示した。
 
Baker v. Seldenでの最高裁の基準は,アイディアを表現から区別する方法を示唆している。原告Seldenの本が達成しようとした目的に,Baker v. Seldenでの最高裁は焦点をあてて論じているが,それと全く同じように,本件で問題になっている著作物が達成しようとしている目的に関して,アイディアと表現の区別の線は引かれうるものである。


著作物が達しようとしている目的に対し、アイディアと表現の区別があるのである。
JUGEMが独自タグを中心にした構造で行おうとしていう目的は、むろんテンプレートを自由に切り替えれるカスタマイズ製のあるBlogツールというものであろう。
この目的を達する際に用いられた方法は、この102条bに定める方法ではなく、あくまで表現なのである。

つまり、102条bはその目的を達するための「方法」には著作権性が無く、あくまでその先にある「表現」を保護することを言ったものであるが
むろん「テンプレ切り替え型Blogツール」という目的を達するための独自「表現」であり、これを達成するために必要な「方法」では無い場合、これは102条bの指すところの方法ではないということだ。
AppleII裁判でも102条bの解釈として言われているように、これを表現を狭める意味合いで用いるのは誤用であるわけだ。

そして表現の著作権性の制限について、のちのアルタイ裁判では3段階テストによる制限が提示されているが、これらは融合表現や既知パブリック表現のチェックを明文化したものであるのだが、目的(テンプレ切り替え型Blogツール)を達するために必然的に付随する表現でなんらないため、文句無く「表現」であると言える。
(三段階テストとは?:http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000190.html)

 
 
このように、各種判例が語るとおり、102条bの「方法」除外は、いろいろな方式が取りうる場合に任意に創意により用いられた「方法」を「表現」でないとするものではなく、そのような用法は誤用であると繰り返し述べられている。

あくまで、102条は目的に至る「方法」自体を表現でないとしているのであり
また同時にそれは「表現」を縮小する目的で用いられてはならないのである。


 
分かりやすく言えば、「テンプレート型Blogを実現するにあたり、テンプレファイルの変数を置き換えて画面に反映させる」というのはこの目的を達するための「方法」であるが
「テンプレート型Blogを実現するにあたり、このようなタグ構造で実現する」というのは、この目的を達するための「表現」なのである。

「テンプレート型Blogを実現するにあたり」(目的)

「テンプレファイルの変数を置き換えて画面に反映させるやり方で」(方法)

「このようなタグ構造で実現する」(表現)

ということだ。
むろん真中の(方法)も、創意による特異な場合表現である場合もあるだろうが、この場合はこれ自体はJUGEMに由来するわけでもないし、融合法理的にもこの方法はこの種のソフトウェアにおける公共されるべきアイデアであるからあたらない。
しかし、その先のタグ構造にはなんらそのような点がなく、ただの個別の由来する「表現」でしかないため、これを「方法」とするのは間違い。
判例的で表現を縮小する目的で用いるのは誤用となっているため、102条bをもってJUGEM独自タグの著作権性を否定することはできない。

これはAppleII判決でもOSの実際の固有表現は著作性があると述べられている部分がありますが、そゆこと。




 
 
というわけで、踏まえて欲しいのは、簡略に書くと

・102条b及び日本の著作権法の対応部分とは、表現の前段階の「方法」は表現でないとしたもの。
・その適用として、個別の「表現」を狭める目的で用いてはならない。
・表現とアイデアの区分けについて、他にも別の方法が取りうる場合に選ばれた固有方法は表現である

というあたりです。
このあたりは102条bの解釈としてもはや通説で異論はなかろうと思います。

 
最後に上記でもリンクした米国著作権法と判例を研究されてる井上氏の注釈を引用します。
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_copyright_law.htm#%81i%96%F3%82X%81j
102条(b)項は、著作権が保護するのは表現であり、アイディアではないという著作権の本質の一つを明らかにした条文である。最近のアメリカの裁判所はプログラムの著作権侵害事件において、102条(b)に基づいて発展したアイディア・表現二分法により、非侵害と判断する場合が多い。しかし、いずれのケースも、ソースコード、オブジェクトコードが類似していないことに注意すべきである。プログラムは何らかの機能を有しているのであり、ソースコードあるいはオブジェクトコードの表現の複製、翻案を行えば、それに伴って、その機能もコピーされる。この場合、プログラムの機能はアイディアだからアイディアのコピーであり著作権侵害ではないといえるだろうか。もちろん著作権侵害である。102条(b)はアイディアだけを利用するのは著作権侵害ではないという意味であり、アイディアが含まれていればその表現をコピーしてよいと規定しているわけではない。ソースコード、オブジェクトコードの表現が類似していなければ、つまり、オリジナルな表現でプログラムを作成すれば、同一の機能のプログラムを作成しても著作権侵害が問題になることはないが、ソースコード、オブジェクトコードにアクセスし、かつ、その表現が類似していれば、プログラムの著作権侵害である。プログラムではわかりにくいかもしれないが、小説を例にとると、他人の小説から読者を感動させる表現手法を学び自分の小説に生かすのは著作権侵害ではない。これに対して、他人の小説の表現の複製、翻案を行えば、それに伴って、複製あるいは翻案された小説もオリジナルな小説が読者に与える感動と同じ感動を読者に与えることができるが、これは著作権侵害である。


この解釈は今回あげた数々の判例から導き出される当然の解釈かと思います。俺の言ってるのも同じです。
著作性のある表現について、オブジェクトコードの表現が類似してれば、それは著作権侵害なのである。
そしてJUGEMがテンプレ切り替え型Blogツールとして成した「表現」を模倣すれば、むろんそれを正当化する道理は無いのである。

JUGEM独自タグリスト
http://jugem.jp/jugem/guide_tag.php
例示として代表的BlogツールであるMovableTypeのタグリスト
http://www.movabletype.jp/manual/mtmanual_tags.html

この両者に創作的意図が無いわけがなく、それぞれ表現に属すものであり、これを模倣することは、なんら102条bに定める方法の共有には当たらない。  

Posted by highbiscus at 12:44Comments(17)TrackBack(0)weblog

2005年08月20日

この議論は非常に有意義に思う

いしなおさんがどう思ってるかは知らないが、このsbに端を発した議論は、とても勉強になる。


この議論で俺が自信満々なのは、負けようが無いわと思ってるからなのですが、
それは著作権というものが何を守るものかとか考えると著作権というものは、あくまで創意の結果物について、由来する創作者に権利を求めるということですから
sbとJUGEMに当てはめると、sbにJUGEMに由来する要素があるのは歴然としてましたし、著作権的に負うところがない!なんて意見を聞くと、どうも初期創作性の高い低いを理由にしたりと著作権と特許権の違いが分かってない人ばかりで、そんな論理じゃこりゃ負けようないな、と。
(ここで言う勝ち負けは、論理的に俺の理論を屈服させれまいという意味)

ソフトウェアの著作権論争とかって、ニュースグループでもパソ通でもよく話題になって盛り上がってたじゃん?
モヒカン族がハンパなこと言ってた著作権と特許権の切り分けについて、俺が最初っからきっちり理解してたり、著作権事例をホイホイ出すのは、この手の議論をさんざん見てきたからです。

おそらく今回の議論経由した人はすっごいソフトウェア著作権について学んで詳しくなったのではないかと思う。
アルタイ裁判がーとか、三段階テストがー!とかさらさら言えないじゃん、普通(笑
それだけでも議論はすげー価値あることだと思うわけ。

対話をすーぐ放棄する人って居るけど、もったいないっすよ。いろいろぐねぐね考えるのはすごくいいことだと思います。

 
さて、そんなこんなで著作権とは何を保護するのか?という観点において、由来することを保護するのだと理解していた俺は、発想の高度さを論点にした反論に、内心勝ち誇っていました。
俺としてはsbにJUGEMに由来する表現があることを証明すれば勝ちなんですからね。独自タグだけでも勝てるわけだ。

 
しかし、ちょっと以外な方面からの反証が来た。
規約は表現にあたらないため、JUGEMの独自タグを中心にしたテンプレ構成は表現にならない!という意見だ。
JUGEMの独自タグは規約なので著作権性はなく、模倣してもいいパブリックな要素!ときた。

これには少し戸惑った。
明らかにJUGEMがテンプレ型ツールを作る際に用いた独自の表現であり、別表現でいくらでも同種ツール作れるわけだし、
規約例外もあくまでそのアイデア実現のための基礎技術のフェアユースを述べた趣旨の部分であるからあたらないとは思うが、
バシっと切れる証明が無い。
裁判でこんなのが通るとも思えないが、判例自体無いからなあ。

というわけでここで初めてちゃんと調べた。米国著作権法を。(ちなみにサイボウズ裁判は過去詳細に読む機会あったので既に理解してた。なのでいしなおさんとかの誤読をことごとく指摘し尽くせた)

規約例外の部分というか、日本のソフトウェア著作権自体、米国圧力で付け加えられた部分で、基本的に米国著作権法に対応した表現になっている。
規約例外の意図するところを理解するには、国内にはソフトウェア著作権自体判例が少ないので、米国著作権法と米国判例であろうと踏んだのだ。

 
この米国のお勉強はためになった。
アルタイの三段階テストという概念は以前聞いたことがあったが、こんな詳細に読み込んだのは初めてで、よく理解できた。

で、規約例外部分に対応するのは米国著作権法102で、もろにそれを盾に模倣の正統性を訴えた裁判がいくつも出てきた。
それ以外でも102の解釈について載ってた。

それによれば、やはり無制限なものではなく、今回の構図のように、独自の表現でしかない要素にまで広げようとした主張はどれも退けられていた。

特に、102は著作権の範囲を広げたり狭めたりするものではなく、表現とアイデアの区分を書いた意味であると述べたAppleII裁判は参考になる。
その上で、指摘されたOS部はシステムではなく表現であるという論旨。その理由として別のやりかたによって同じことが可能なことが挙げられている。
つまり、一見システムであっても、各種表現があるなか選択された方法は「表現」と認定されるという原則を示し、それは著作権法102で定めた共有すべき基礎領域にはあたらないということだ。

さらにウェラン裁判においては、前提条件として、著作権法102の例外の範囲に制限があることを、過去の判例を追認するかたちで特筆する。
102条(b)およびアイディア/表現の区分という項で

望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない。


とする。
結局AppleIIのときに102の濫用に制限を加えた論理と同じことを言ってるにすぎませんが
目的を達するための特定の「方法」は通常目的、すなわちアイディアのほうに属し、102では例外にあたるが
目的を達するために複数の「方法」があり、そこであえて選ばれた「方法」とは、必ずしも「目的」ではなく、「表現」に分類すべきであると。

これだ!と思いました。
あたりまえのことを言ってるだけっちゃそうなんですが、文面として判例出てくれないと証拠能力無いですからね。
テンプレート切り替え型Blogツールという目的を達するにあたり、JUGEMの用いた方法は、なにもテンプレート切り替え型Blogにおける共通知識でもなく、いくらでも他の表現はあるし、単にJUGEMがあえて選んだ独自表現ですから、まさにこの事例と。


ウェラン裁判の内容は間違ってる!という反論も来ましたが、現在の重要な基礎判例の1つです。単にこういう流れなだけです。

ウェラン裁判=ソースだけでなく結果物にも著作権性がという判決

アルタイ裁判=結果物の著作権性について3段階テストによる制限。
       融合法理によりアイデアの独占につながり、表現であっても独占しえないものがあるとする。

ウェラン裁判で表示の独占について、濫用可能すぎであることが言われ、表示の独占について融合法理などによるチェックが行われ、制限されるべきであるとなった。
要するにアイデアの独占に繋がる表現の独占はできないということです。

ここまできてJUGEMに当てはめると、JUGEMのテンプレ機能という表現は、米国著作権法102の解釈より、あくまで表現であって著作権性を持つ。
さらにアルタイ裁判のチェックに当てはめると、この表現がなんら同種テンプレツールというアイデアの実現を阻害するものでないことから、単なるローカルな固有表現。

 
以上これをもって対論とした。
要はJUGEMのテンプレ仕様を使ったテンプレ変更型Blogツールというアイデアの実現は、表現なのだ。
表現であるから、当然著作権能力を持つ。

102に規定される規約例外とはあくまでアイデアの話で、その範囲はある目的を達するための共有物にとどまると言うべきだろう。
独自の固有表現をパクルための方便として用いるのは誤用であると複数判例は語っています。

 
というわけで、感覚として規約例外が何もJUGEMが用いた独自表現なんてのをパクルのを正当化する意味合いではなかろうというのは分かってましたが
これでその証明が判例からできました。

これについて潰せる論理ってあるのかなあ?
俺はこれはちょっと潰せないと思う。

この現在の俺理論は、
別段いくらでも他の実現方法がJUGEM方式以外の表現でありうる場合に、そこで用いられている方法はあくまで表現にすぎず
なんら他が著作権性を否定してマネる正当性は無い
というものです。
sbにしろなんにしろ、別に他の表現で同じようなアイデアを実現することは可能です。ここでどの実現方法を取るというのは、判例によると表現なわけです。


結局、表現とアイデアの切り分けの話であり、単にJUGEMのそれが表現に属する種のものであるというだけです。
著作権の「表現は保護するがアイデアは保護せず」という原則はそのままです。
JUGEMの方式が、表現なのか?アイデアなのか?というのは米国判例がそのまま当てはまる事例ですので、表現の範疇であるとすべきでしょう。

 
これがアイデアに属すもので、著作性が無いというかたの発想は、著作権の想定する意義に反します。
あくまで個人の創意の成果物に対する権利を正当に認めるというもので、JUGEMのそれが創意の成果物であるのはまず間違いの無いところ。
それをフリーでパクリ放題にしてこの独自表現が創作者の成果物ではないとされても、なんも意義無いでしょう。
融合法理などやパブリック透過は共有知の独占を規制するもので意味もありますが、こんなのまったくテンプレ切り替え型Blogツールを作るための公共的な基礎技術でもなんでもない。単に独自に考えて実装した表現です。

ほんとにそれがハッピーなのかい?
俺は創造者が創造者であることを認められることは大前提であると思うよ。
規約例外がそんなことを述べた部分ではないことは米国判例では明らかであるし、日本の司法もそのような意味で書いたものではかなろう。



 
…とまあ、こんな感じでぐだぐだ考えてみましたー!
これ凄く有意義であると思うし、どんどんみなさん参入してくれ!と思うのであった。  

Posted by highbiscus at 04:20Comments(8)TrackBack(0)weblog

2005年08月19日

元気ないしなおさんに - その4 すなわち

その続きで、新規記事で日本語読解論争を無謀にもつっかかってきます。
アホだなあ(笑
これ思いっきり痛い目見ますよ?でも容赦しねえええええええ

プログラムの画面表示の著作権@いしなお!
http://tdiary.ishinao.net/20050818.html#p03



いしなおさんのオレオレ著作権を突く : highbiscus -北国tvで、
(1)ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。すなわち,美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものであり,いわゆるコンピュータゲームにおいて画面上に表示される影像などには美術の著作物に該当するものも少なくないが,この点は,いわゆるビジネスソフトウェアについても同様に当てはまるものということができる。
 
の解釈として、
 
著作物とはなにか?法律には「思想又は感情を創作的に表現したもの」とあります。それに当たる場合は画面の表示も該当すると述べている部分です。
 
その上で、美術的要素の場合にはさらに「美術の著作物」(著作権法10条1項4号)に当たると考えられる旨を書いているのであって、いしなおさんの書き方では、あたかも美術の著作物でなければ著作権性は成り立たないといった文脈ですが、大嘘です。
 
とhighbiscusさんは読解していますが、highbiscusさんの読解の方が正しくありません。その二つの文章は、「すなわち」という(説明の)接続詞で接続されているんですよ。
 
「著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである」という文章を受けて、「すなわち」(つまり、言い換えれば)と続けているのですから、前段の文章をより具体的に(何の著作権を持つのか)説明しているのが「美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物や図形の著作物に該当することがあり得る」になります。
 
highbiscusさんの解釈(「その上で」という意味合い)で読むためには、ここの接続詞が「さらに」とか「また」とか「あるいは」などの添加や並列、選択の接続詞でないといけません。「すなわち」は、前段の表現を詳しく説明するための接続詞です。



ぶははははは
ほんと国語の成績悪かったでしょ?笑
すんげーどーでもいいところにこんな割いて集中してくれたいしなおさんに敬意を表して、ちゃんと書きますね。


まず前記事のいしなおさんの判決の誤読がありますよね。
前記事参照
http://ch.kitaguni.tv/u/116/weblog/0000255915.html

まず最初の
「一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。」

が、ここをソフトウェアではなく「音楽についても「思想又は感情を創作的に表現したもの」である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となる」と、
音楽や絵画に置き換えてみればわかりますが、
ここは「ソフトウェアの画面表示も著作権の範疇である」と述べた意味の文脈です。

ここで用いられている「思想又は感情を創作的に表現したもの」ってのは、著作権法の最初で述べられてる「著作物とは?」という大前提の部分であります。
「思想又は感情を創作的に表現したもの」って表現は、「著作物」とイコールな表現で、これは著作権法読んだことあったら当然の認識なんですな。
「ソフトウェア画面をも著作権の管轄する範囲である」と断じた文章です。

いしなおさんが言うように、ソフトウェア画面における著作性の制限を語った文意ではありません。
同じように
「音楽についても「思想又は感情を創作的に表現したもの」である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となる」
と置き換えて、
これが「音楽には著作権の制約があるんですよー!」という文意に読めるなら、相当ダメです。

 
でさらにここで、イシナオさん自身満々の「すなわち」が出てきます。

「すなわち,美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものであり」

もうお分かりですね?
翻訳するならば

「ソフトウェアの表示面についても著作権の範疇である。すなわち、ですから、著作権法に基づき、美術的要素であれば美術の著作物にあたるべきであろう」

…ってことです。


この「すなわち」は、前半のソフトウェアも著作権の範疇であるという論旨を受け、さらに、であるからして、著作権法に定められたように、美術的要素や学術的要素なら、美術の著作物にあたるし、図形に著作物にあたるであろうってこと。

ソフトウェアの表示は著作権の範疇 > ソフトウェア表示のうち美術的要素は、著作権のうち美術の著作物


ってことです。
この「すなわち」が読めないのはちょっと恥ずかしいと思う。

いしなおさんの読解では

「ソフトウェアの表示は特殊な場合のみ著作物であると言える。ということは、美術的要素を備えたときのみ美術の著作物と言える」

になってんすよね?
ほとんど美術的要件を満たすときのみソフトウェアの表示画面は著作物性を持つくらいの勢いの文章と。

そんなこと書いてないじゃーん
単にソフトウェアの表示面についても著作権の範囲であることを述べ、また用いられる美術的要素は美術の著作物にあたると述べた文章です。
ゲーム等において美術の著作物は多いにありえる話であり、それはそのままビジネスソフトウェアにも当てはまるであろうと述べたものです。

もちろん由来性を持たない部分について著作権能力が無いのはサイボウズのしょぼいポイントで明らかですが
それとは関係無しに、ソフトウェアの外観面についても著作権によって保護される対象であることをはじめに断じたのがこの部分です。
影像について*も*となっている判決文の論旨を読み違えてはいけませんよ。普通に文脈読もうよ。  

Posted by highbiscus at 20:06Comments(7)TrackBack(2)weblog

2005年08月19日

元気ないしなおさんに - その3

次に、どーでもいいねちねち細かい部分に反応したエントリーに対し返事が来た部分。
そのどーでもよさが結構心地いいマゾな俺だよ笑



http://tdiary.ishinao.net/20050818.html#p02

私が、「サイボウズ判決は認めている」が「それをhighbiscusさんが独自に解釈した結果、他の事例に当てはめて根拠とすることを認めていない」という意味だとわかりますよね? 「プログラムの実行によって表示される画面の設計が、著作権による保護を受けうる(その条件は限定されている)」というサイボウズ判決の趣旨は認めているが、「だから、JUGEMのテンプレート仕様は著作権による保護を受ける」というhighbiscusさんの解釈は受け入れられない、ということです。


はぁ?
サイボウズ裁判は、あくまでアナタがさんざん強弁してきた「著作権はソースにのみ及ぶ」の反証に出た判例でしょうが。
なに言い換えてんの。

「「だから、JUGEMのテンプレート仕様は著作権による保護を受ける」というhighbiscusさんの解釈」とか変なこと言ってますが、
これはあくまでアナタの、「ソースのみで表層的なソフトの結果物には著作権及ばない」というオレオレ著作権に対して、でしょ。

さらにこのサイボウズ話題で俺が申し上げましたのは「sbとJUGEMでソースが違っても、結果物に模倣があれば著作権侵害である」という、「ソースのみか、結果物もか」論であり
全く「サイボウズ裁判をもってJUGEMテンプレ仕様は著作権の保護」という、テンプレ仕様の著作権性の証左にした事実は無い。
テンプレ仕様の著作権性の証左は、あくまで規約例外がそんなこと述べたわけではないという証明の部分でしょう。

書いてないことを書いて勝ち誇りってのは詭弁の見分け方でなかったっけ?笑

サイボウズ裁判は、あくまでソースだけでなく表示画面についても、著作権性のある表現の模倣は著作権侵害である、という、アナタのオレオレ著作権を正すためにしか用いてないでしょう。ここを整理しないことには先の議論噛みあわないからね。

サイボウズの指摘したポイントは矢印ナビゲーションなど、由来しない要素ばかりでしょっぱいから、明らかな由来があるsbの類例としては不適ってことも書いてきたじゃないですか。

言って無いことを言ったように捏造は反則ですよ


 
で、東大レベルとか言ったら食いつくかなーと思ったら、やっぱ食いついてきてオモシレー笑
あんた論争慣れしてないか、相当幼稚だろ!そういうの嫌いじゃないぞ笑

それにしても、highbiscusさんの東大レベルの国語能力は、
 
(1)ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。
 
という文章を、
 
サイボウズ裁判の判決文では判決冒頭で明確にソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)であると断じています。
 
と解釈するんですか? 「「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合」という条件を満たした場合のみ、「著作権法による保護の対象」になる。すなわち、ソフトウエアの画面が著作権法による保護を受けるための条件を述べた文章である、という解釈しかできないと思うんですが。


あんたほんとアホだなあ(笑
これで揚げ足取ったつもりでいっぱい文字割いてくれるアホさかげんは、プルプル感感じていいっすよ〜笑

ここで判決で用いられている「思想又は感情を創作的に表現したもの」ってなんですか?
「著作物とは?」と著作権法で述べられている「著作物」の根本的な定義です。

著作性のある表現はソフトウェア表示画面においても保護されるべきである

ってことを書いてるんでしょ。

で、俺は何と解しましたか?

「ソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)であると断じています。」

外観面のデザイン*も*、著作物、すなわち「思想又は感情を創作的に表現したもの」の範疇であると書いてるわけ。
「外観面も著作権の範囲」と書いてるにすぎないですが、全く判決文と同じ意味ですわな。
「ソースのみ著作権」への反証なんすから当然の表現ですが。

いしなおさん、「著作物」=「思想又は感情を創作的に表現したもの」という、著作権法の大前提もしかして知らなかった?笑

 「「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合」という条件を満たした場合のみ、「著作権法による保護の対象」になる。すなわち、ソフトウエアの画面が著作権法による保護を受けるための条件を述べた文章である、という解釈しかできないと思うんですが。


判決のそこの文章は「著作物である場合のみ著作権法の対象になる」と述べた文章と?
そうじゃないですよねー!
「ソフトウェアの画面表示に関しても著作権法の適用対象である」という意味の文章ですよ。
例えば

一般に,音楽ついても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。
一般に,絵画ついても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。


これらがこの文脈で書いてあって、「音楽は思想又は感情を創作的に表現したものの場合のみ著作権を持つ」とか(偶発の音じゃあかんのだろうな)、「絵は思想又は感情を創作的に表現したものの場合のみ著作権を持つ」って制限を言った意味合いの文章と訳するのは文脈的に無理あるでしょう。
「音楽も著作権の対象物」と言った文章ですよ。



つーか日本語不自由なのかい? 俺の文章どう読もうが、なーんもおかしくないよ。
英語は不得意だけどな!

こんなくだらないのではしゃがないでくださいよぅー
はしゃぎ返しちゃうぞ!笑  

Posted by highbiscus at 20:03Comments(0)TrackBack(3)weblog

2005年08月19日

元気ないしなおさんに - その2

で、いしなおさんの反論はなんだか米国判例の解釈に続く。

http://tdiary.ishinao.net/20050818.html#p02

に関してですが、この裁判(1983年)は、OSバイナリが焼き付けられたROMの複製(デッドコピー)に関する判例です。ソースコードおよびバイナリの複製に関してはそれが著作権法違反であることを私は一度も否定しておらず、今回のsbとJUGEMの件(ソースコードは複製ではない)とは関係ありません。


あなたはアホウですか?

AppleII裁判の判決を例示したのは、最初にまず、米国著作権法102、すなわち対応する日本の規約例外の部分ですが、それの意義と制限を提示しているからです。

その裁判の本題は本題とは関係ありません。
付け加えると当時は、ソフトウェアのソースは著作権あるものの、バイナリにあるのか?と思われてたような時代であり、Appleは一旦この裁判負けます。
当然今の常識から言えばあたりまえなことをAppleは言ってるだけですから、のちに勝ちますが。
そんな時代の判例ですから、ソースのみ!とかキャッキャはしゃぐのにはちょっと笑ったよ笑

この裁判自体は古いソフトウェアの著作権認識時代の裁判ですし、現状の表示についても由来性を持つ表現については著作権があるというのとは隔世の感があります。

ですので、そんなとこはどーでもよく、最初に102条の意義と、指し示す範囲を論じた部分に価値があり、この認識は現代に続くものです。

よーするにいしなおさんが言ってるのは、
「エース100と違ってsbはソースコピーしてない!」でしょ。
俺が言ってるのは
「システム等は例外事項だから著作権取得能力が無い、はウソです。」と。

なんだよその反論(笑
「エース100と違ってsbはソースコピーしてない!」って、そんなとこ誰が論証にあげてんのよ。エース100がどうかは関係無いだろが!笑

あくまで、規約例外だから著作権取得能力が無いってことはない。
またパクリのために規約例外を誤用する輩に、誤用を牽制。
ってことですよ。


あと同エントリーでは、Whelan判決(の中で過去のBaker v. Selden判決の解釈を述べている部分)を根拠に、アイディアが著作権によって保護されるという判断を支持しているようですが、highbiscusさんは1986年のWhelanデンタ・ラボ事件の判例が、現在もプログラムの著作権解釈に関して主流であると考えているわけですね。
 
この判例が、現在プログラムの著作権解釈として、どのようなものと位置づけられているのかを語らずに、この判例を根拠として持ち出すのは、かなり問題があるでしょう。

あのー。Baker v. Selden裁判自体を証拠にしてるんではなくって、
AppleII裁判では、原告側が102条とともに、Baker v. Selden裁判を根拠にあげて、
その解釈をして、規約例外はこういう意味だ!とやってるものですよ?

で、Whelan判決の認識がいしなおさんおかしいっすよ。
あたかもWhelan判決は信頼がおけない!といいたげですが、ちゃんと米国著作権の流れ分かってます?
すっげーGoogleで今探してきました!的で薄すぎる!ほんっと著作権論争とか過去したことないんだなあ(笑

 
Whelan判決はソフトウェアの表現の保護を規定する画期的な判決ではありますが、これだけでは解釈しだいで広すぎるため、アルタイ判決では一定の制限が加わります。
アルタイ裁判、すなわち、過去記事で取り上げた「3段階テスト」による著作権侵害検査ですよ。

原則Whelan判決は基本的に通用する考えです。その上で公正競争の観点から、抽象化→濾過→比較という手順によって、その著作権の範囲とパブリック透過等を慎重に吟味せねばならないとなっただけです。

いしなおさんが証拠だ!というように出した21世紀へ向けてでも
ウェラン判決に見直しを迫るものとしては、アルタイ判決(米、1991)が重要である。これは、著作権の範囲を「構造、手順、構成」のようなきわめて抽象的な段階にまで無定見に拡張せず、抽象化の程度に応じて類似性を定量的に判定すべきだと主張するものである。

とありますよね?

あくまでウェラン判決で語られたコードでなく表示面での著作権性という流れはそのままで、その認定に、一定の検査手順を取り入れたものです。
規約例外などの透過作業は、この3段階テストのうち、2番目の透過にあたりますが、ウェラン裁判内で引用された

ウェラン裁判内で語られるBaker v. Selden裁判の解釈、102条(b)およびアイディア/表現の区分についての部分
望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない。


という考え方はなんら否定されてないと思います。
ここはあくまで、102条、日本で言う規約例外の濫用を制限するものですが、アルタイ裁判以後もこれを否定する論理は何ら無いです。
Baker v. Selden裁判の解釈はAppleII裁判においても、同じく102条を持って規約例外を乱用するのはいかんとなってるように、
これは米国判例ではウェラン裁判以前から続くまっとうな解釈です。

ソフトウェアの表示画面側の著作権性を認めたウェラン裁判だけでは拡大解釈できすぎる!というのちの評価を見つけてはしゃいだみたいですが、
その後の修正点とも言うべきアルタイ裁判がどういうものか理解してないんでしょう。
取ってつけたような著作権論じゃ説得力ないっすよ(笑


アルタイ裁判では、ウェラン裁判の表示面の著作権性を引き継ぎつつ、その範囲の設定方法を論じた画期的判決です。
現在は基本はこの考え方の流れにあります。

アルタイ裁判では類似点を各自切り分けて、定量的に細かくやれとなったわけですが
102条の誤用に対し述べた、「望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない。」は当然今に通じる判例です。



highbiscusさんが根拠として提示したWhelan判決。その後1990年以降の判例によって、ソフトウェアの著作権による保護範囲は狭くなり、仕様やインターフェースに関する著作権を(基本的には)認めない判例が続き、Whelan判決は否定される。代わりにプログラムの仕様などは特許権(権利を認められるためには審査に通る必要がある)によって保護される方向になっていく。


あのー?
「仕様やインターフェースに関する著作権を(基本的には)認めない判例が続き」というのは具体的にどの判例を指してるんですか?
JUGEMのテンプレート型Blogツールを実現するにあたってとった「表現」みたいのが否定された判例など知りませんが??

たぶんまた、ウェラン判決の広すぎる判決ののち、アルタイ裁判など、制限が加わる方向になっていったってどっかの文章を脳内で表現派手にしたんだろうけど(笑
知る限り102条の制限を語った部分を覆す判例って無いと思うんですが…。(そもそも102条の乱用制限はウェラン判決以前からの流れだし)

「代わりにプログラムの仕様などは特許権(権利を認められるためには審査に通る必要がある)によって保護される方向になっていく」
という毎度の論理は一体どういう根拠が?わからんのだけど?

元から特許権と著作権は別個です。
この論議は、アイデアと表現の切り分けというこのソフトウェア著作権における最大の命題です。
AppleII裁判も、ウェラン裁判も、アルタイ裁判も、それぞれそこの切り分けに苦心しながら判断を述べています。

ウェラン→アルタイの流れを見れば、現状のこの命題の考え方が分かりますが、


で、ウェラン裁判では102条の制限について
望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない。


と述べられ

さらに発展したアルタイ裁判では3段階テストの透過で

このプロセスでは、抽象化の各レベルに含まれる構造的要素が「アイディア」であったのか、または、効率性の考慮上要請されたものであって、その結果当該アイディアに必然的に付随することとなったり、プログラム自体にとっては外的な要因により必要とされるものであったり、あるいはパブリック・ドメインからとったものであるが故に保護されない表現であるのかを判断するために、当該各抽象化レベルにおけるこうした構造的要素を吟味することとなる。どんなプログラムの構造でも、こうした考慮の一部または全部を反映することもあれば、全く反映しないこともある。事例ごとに、固有の事実に即した検討が必要となる。


「構造的要素」が、アイデアか表現かは事例ごとの検証が必要とされ、効率上必須である場合、つまり融合法理の例外を語っている。

このように、規約例外と融合法理による制限を表現の独占に課しているわけですが、規約例外の指し示すところはウェラン裁判の表現とはなにか?という部分が有効でしょう。
なんらこれを妨げる論理はありませんよ。

よーするに、現状の米国著作権の解釈は

・表示もソースも著作権の範囲。ただし、融合法理などで表現の独占に制限ありますよ。
・規約例外も制限ですが、表現にあたるものは保護しますよ。

ってことです。





ただ、どうもhighbiscusさんがこだわっているのは、私の「仕様に関しては著作権は認められない」という主張のような気がしてきたので、その点については過去に「仕様に関して全面的に著作権は認められない」という表現をしている文章があった場合、それについては撤回します。
正しくは、「近年のプログラム著作権に関する判例や、互換プログラムが一般的に流通している実情を鑑みると、プログラムの仕様については、たいていの場合著作権は認められない」です。
そしてhighbiscusさんの「プログラムの仕様は、それが独自のものであり、かつ、公共的なもの(ってなんだろう?)でなければ、自動的に著作権が認められる」という解釈は支持しません。



「近年のプログラム著作権に関する判例や、互換プログラムが一般的に流通している実情を鑑みると、プログラムの仕様については、たいていの場合著作権は認められない」
ってのは間違いですね。

「近年のプログラム著作権に関する判例」ってのが何を指してるのか謎ですが、アルタイ裁判などでしたらそんな意味じゃないです。
なんらテンプレート型Blogツール作るための基礎技術でもなんでもない、JUGEMの独自の「表現」みたいのを規約だから著作権性無い!なんて判例知らないです。
逆に102条の誤用をいさめた判例ならいくらでもありますけど。

互換プログラムが一般に流通、ってのも具体的にどのようなソフトウェアを指して言ってるのか分かりませんが?
AppleIIの裁判読みましたよね? AppleIIのソフトウェアを起動させれるOSってのはいいんです。
これはアイデアの別表現による実現ですから。
そういう意味での互換ソフトウェアは適法ってことになります。

要するに、MovableTypeテンプレートをインポートして使えるソフトウェアはいくらでも海外にありますが、
MovableTypeテンプレート使えるようにするため必要なんだ!と互換性のためと同じ構造のソフトウェアを作ったのではマズいと。
あくまで別の表現でなければならないというのが原則。

別の方法でそれ実現できるじゃん?ってもので由来性明らかなものを利用するのは表現の模倣でクロなのです。
(もちろん三段階テストにおける透過の審査は受けたうえで)


「公共的なもの(ってなんだろう?)」とありますが、これは102条のシステムなどの基礎技術のフェアユースを語った部分の話ですよ。
ここの主旨は、そのアイデアを実現するための解法といった基礎技術のフェアユースを語った部分です。
つまりそれらは「表現」を実現するための「方法」にすぎず、最終的な到達点である「表現」ではないということです。
ですが、米国判例からも明らかなように、あくまで「表現」は保護するのであって、それが「表現」であると判断しうるような要素について、「方法」に過ぎないとパクリ側が言うのは誤用ということになる。
JUGEMの独自タグ表現は、テンプレート自在に換えれるBlogツールという「アイデア」の実際の「表現」でありますから、これは保護対象である。


「表現」を実現するための「方法」にすぎないのであれば、それは表現ではないだろうが
今話題のJUGEMのそれは、誰がどう見たってソフトウェアのアイデアを実現するにあたって用いた「表現」です。
ここに規約例外持ち出すのは誤用もいいとこですよ。


ところで、ソースコードおよびバイナリが複製ではなく、仕様がクローンであるOSやさまざまなエミュレータや、データフォーマット互換のプログラムの存在については、どう考えているんでしょう?


まだアイデアと表現の切り分けができてないんすねえ
具体例あげてくれないと具体的に指摘はできないので困りますが、
Windowsインターフェース裁判でもいいし、サイボウズ裁判でもいいですが、あくまで由来性のある部分の表現について引用が問題になるのであって、
Windowsがアイコンによるインターフェースを用いても著作権侵害ではないのです。矢印によるナビゲーションがあってもサイボウズ由来ではないですから著作権侵害とは言えないわけです。
そして、AppleII裁判でも断じられたように、AppleII用のアプリが動くハードを作っていいんです。別の表現でなら。
(別の方式でAppleIIソフトの実行を行えるソフトを作ることが無理とは判断できない、と判決はなってますよね)
ですが、著作権性のある表現を模倣していれば、それは著作権侵害にあたる、というのが現行の著作権制度です。

どのソフトを指しているのかわかりませんが、もちろん著作権者がポリシーとして使用許諾をしている場合にはそれら要素であっても侵害にはあたりませんが
その場合でもあくまで著作権は作者にあって、パブリックなのではないことは頭に入れておかねばならないと思う。

これら諸々の要件により、各種OKなクローンソフトの存在があるわけです。
(もちろん中には目立ってないのをいいことにパクってるのもあるでしょうが、これはクロで単に見逃してるだけで、著作権が作者にあるのは変わりません)  

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2005年08月19日

元気ないしなおさんに - その1

だいぶ論点がまとまってきたな@いしなお!
http://tdiary.ishinao.net/20050818.html#p02

お、いしなおさんが元気になってきた笑
挑発したかいがあったよ!

章立てにして長いので、それぞれ行きます!まずはその1!


ということは、「表示画面が同一だからデッドコピーであり、著作権侵害である」という主張に関しては、勘違いによるものとして全面的に撤回するわけですね


するする!笑
あっけなく撤回するのが俺の主義なのじゃよ。これは勘違いがある。
テンプレが同じようなの使ってるのを表示面同じじゃんと思っただけだね。

単にテンプレ互換機能を含めた意味での通常表示画面を提供する部分が、同じものではないか!という大雑把な話をしてただけなんで、論旨的にはなんら変わんないんですけど、個別テンプレの検証をちゃんとしてなかったのはミスなので認めるよ。

(ただ徳保さんが指摘するように、テンプレに模倣があるなら、やっぱまずかろうとは思うが、まあ俺はそこは論点にはしないさ)


で、テンプレ切り替えツールにおけるインターフェース面が、いろいろ変わるので分り難いが、実態はその内側の切り替え面にあるということは、既に述べた。

米国著作権法とsb
http://ch.kitaguni.tv/u/116/weblog/0000252723.html
そこを同一にしている以上、当方の言ってきた主張はそのまま変わらないな。

まあもともと、テンプレ互換なのは分かってたが(自由度ちゃんと検証してなかった)、それら含めて、Blogツールとして見た場合、大部分の意匠を同じくするツールであるわけだから、これをJUGEMに対し著作権的に拠るところがないというのはおかしかろうという論旨である。
んで管理画面の類似は印象論のやりとりなんで裁判次第だしともかくとして、少なくとも表示面はいっしょじゃん?という話をしました。

その「表示面はいっしょ」の中には正確にはテンプレによって如何様にも変わる部分があるわけで、そこをあいまいに語ってたのはミスかもしれん。
しかし、元々管理面と表示面(テンプレもテンプレ切り替え機能も全部まとめた概念)とに2分して、表示面は一緒論を言ってた話の部分なわけですから、同じですわな。



また、それ以外の画面表示の類似に関しても、
で、合わせ技一本は、HTMLソースレベルでの類似は徳保さんが言ってましたが、まあこればっかは印象だろうね。
程度の、具体的な侵害の証拠が提出できないレベルの印象論なんですね。少なくともデッドコピーレベルではあり得ませんよね*1。デッドコピーレベルではないとしたら、サイボウズ裁判の判例を敷衍すると、著作権侵害ではない程度の画面の類似である、という結論になりますね


ええーこれで勝ち誇り?笑
何度も言ってるでしょう。まず由来する表示には著作権性はあるもので、それが模倣されたかどうかの問題で、模倣ならクロって。
ソフトウェアに限らず著作権裁判では、「模倣したと想像に足る」すなわち「模倣した結果の類似と認識できる」かが問題であります。
sbの明らかに由来する要素を持つ構造や、JUGEMの機能を取り入れようという主旨の発言や、実際の感覚的類似などから、「合わせ技一本」もありうるね、という意見を最初から一貫してるはずです。

サイボウズでは実際に模倣があったかは実際の機能の類似からの推測しかありませんから、各機能の由来性もないため否定されました。
唯一危うかったのが、HTMLソースやマニュアルにサイボウズ由来のものが実際に混入していたことですが、これから模倣したまでの証明にはサイボウズ側は行き着けませんでした。(参考に閲覧した際に誤って混入した以上は認められないと)

実際のソフトウェアの比較で考えると、差異より類似点のほうが多いような、まさに代替ツール的位置付けのソフトウェアに仕上がってるのは間違いがありません。
さらに一般的には共通するような要素の多いBlogツールの中で、JUGEMの特徴の多くの部分を占めるであろうテンプレート切り替え型Blogツールとしての表現を、そのまま模倣、つまりデッドコピーしているわけで、それらを考えると、sbとJUGEMの類似を結果類似と判断しにくい部分が多々あると考えます。

似た仕組みのツールを作ることを明言して結果的に似ているのと、明言せず結果的に似ているのとでは、同じ似た要素でも結果は変わってきうるということです。

ですから何度も言うように、こればっかりは裁判の印象合戦次第だってば。
参考にしているのは明言してますが、結果として実際にどれだけ模倣したのかなんて作者の心の中にしかありません。
ですが、裁判するのであれば、制作の経緯もあり、アイオフィスよりは苦しい部分もあるかと思います。

デッドコピーレベルでなければ模倣とは思えない、っつーのは、あくまでアイオフィスとサイボウズの開発経緯でのお話です。
似た仕組みのツールを示唆してたsbでは印象は違ってきます。

上記を認めてもらえれば、あとはJUGEMのテンプレート仕様が、著作権によって保護されるべき表現であるかどうか、という論点だけが残ります


と、いうわけで、ぜんぜん認めてません(笑
ただ、ここはしょせん実際裁判するわけでもなし、水掛け論であろうとも思います。

まあどっちゃにしろ、
JUGEMというBlogツールの意匠を考えたとき、どれがそれをJUGEMたらしめてるのか?と考えると、やっぱキモはテンプレ機能を中心にした自由度高い設計となりましょう。
その方法はやっぱ「表現」ですから、ここのパクリがデッドコピーを論ずるにあたって比重大きいと思う。

明確なデッドコピー自体はあるわけでそこは認めないと。そのうえで他の類似部分が結果類似か模倣なのかはそれは水掛け論でしょうな。  

Posted by highbiscus at 19:58Comments(7)TrackBack(0)weblog

2005年08月18日

いしなおさんのオレオレ著作権を突く

お、Trackback送ってこないから気づくの遅れたが、他の人向け、と銘打っていろいろ書いてるな。


highbiscusさん以外向けに、私の解釈の全体像を解説@いしなお!
http://tdiary.ishinao.net/20050815.html#p02

highbiscusさんとのやりとりだと、私がどういう解釈を主張しているのか全体像がわかりにくいだろうから、ここで基本的な主張をまとめておく(highbiscusさんと、解釈をすりあわせるための文章ではない)。


結局俺論への反論なんだから、Trackback送ってくれてもよかったのにぃ〜
まあどっちにしろ反論しとこう笑
 

著作権法が「プログラムの著作物」として認めているのは、「電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したもの」つまりはソースコード(=表現)。
 
ただし、プログラムの実行時の画面表現などが「思想又は感情を創作的に表現したもの」という要件を満たしていれば、それは「美術」や「音楽」表現の著作物として著作権を持つ。


「プログラムの著作物」=「電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したもの」まではいい。
でも、この先の「=ソースコード」が根拠皆無だと思いまーす。
んなこと一切書いてないし、判例もそんなことは述べていません。

単純に、昔は表示画面にまで著作権意識は薄かったが(そのまた昔はソフトはフリーみたいな認識の時代も)、最近では当然ソフトウェアの外面的表現についても著作性があるというのは大前提です。
サイボウズ裁判を引っ張り出すまでもなく、ロータス裁判でも、MacOSvsWindows裁判でも、いくらでもあり、もはやこれはあたりまえの前提です。

で、法律はソフトウェアに著作権があるよんと述べてるだけで、ソースだけとか、表現だけとか、そういう踏み込んだ領域には一切触れていない。
単に「ソフトウェアって何よ?」「電子計算機に指示出して結果得るために制作されたもの」と、単にソフトっていうもんはこういうもんよ、と述べたに過ぎません。
サイボウズもロータスもAppleIIのROMもMacOSも、電脳様に指示出して結果を得る「ソフトウェア」ですよん、と書いてるだけです。

どこからソースコードだけとか出てくるんだ(笑

 
さらに、サイボウズ裁判の判決を曲解して、
表示画面について「思想又は感情を創作的に表現したもの」という要件を満たしていれば、それは「美術」や「音楽」表現の著作物として著作権を持つと述べ、
それをまた曲解して、「美術」や「音楽」表現の著作物のような場合のみ著作性を持つみたく著しく制限したようなニュアンスに書く。

ではここの定義についてばっさりやった実際のサイボウズ裁判の判決冒頭を引用してみましょう。

http://www.law.co.jp/cases/cy2.htm
ビジネスソフトウェアにおける表示画面及びその組合せの著作物性等
   本件において,原告は,原告ソフトは,個々の表示画面がそれぞれ著作物であることに加えて,相互に牽連関係にある各表示画面の集合体としての全画面も全体として一つの著作物であると,主張している。
  (1)ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。すなわち,美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものであり,いわゆるコンピュータゲームにおいて画面上に表示される影像などには美術の著作物に該当するものも少なくないが,この点は,いわゆるビジネスソフトウェアについても同様に当てはまるものということができる。


著作物とはなにか?法律には「思想又は感情を創作的に表現したもの」とあります。それに当たる場合は画面の表示も該当すると述べている部分です。
その上で、美術的要素の場合にはさらに「美術の著作物」(著作権法10条1項4号)に当たると考えられる旨を書いているのであって、いしなおさんの書き方では、あたかも美術の著作物でなければ著作権性は成り立たないといった文脈ですが、大嘘です。

いまだ全く書いてあることと違う曲解を言うのは狙ってなのか、何度もちゃんと読めと引用して指摘してるのに判決文読めないのか?
言い放ってしまった「ソースだけ著作権」論にこだわるのもいいかげんにしてくれ。
別に昔は著作権闘争の争点はソースだったというのは事実だし、情報源古かった!で終わりじゃないか。こだわるとこじゃないよ。

みんなWindows裁判とか当然知ってるじゃん?米国判例考えると、こんなのサイボウズが初でもなんでもなく、「表示も著作権」はずっと昔からもはや常識で、サイボウズ裁判もその当然のことを言ったにすぎないんです。
ソース以外は著作権で守られない!なんてことなんでまだ言ってんのよ?とあまりに無知すぎて呆れるぞ。

sbの話、JUGEMの著作権にかかるのは俺的には語るまでもない話でしたし、そんな論点より、より大局的な著作者リスペクトとはなんぞや、という話をしたかったんだけど、
大げさに煽って現行の著作権論争しようぜ!とか吹っかけてきたのイシナオさんじゃん?
人様をオレオレ著作権呼ばわりしたりとか、自信満々でしたけど、俺からすると、何よそのしょぼい知識?という感じです。
煽ってんじゃなくって、マジで拍子抜けしたのが実際です。

判決文ちゃんと読んで、判例ちゃんと読んで、それだけで分かる話じゃん。
オレオレ著作権もいいかげんにしてください。判決や判例に書いてないことを捏造するのは反則だと思います。
法は、ソースのみ著作権で保護されるなどと書いてはいないですし、こんなのもはや論点じゃないです。



 
 
表現以外を模倣することは著作権法違反ではない。仕様(決めごと)は表現ではなくアイディア。仕様を構成する名前定義(テンプレート変数名)などは表現と言えるが、それが著作物として認められるには「思想又は感情を創作的に表現したもの」である(=著作物性がある)と認められる必要がある。
 
「変数にその内容に応じた名前を付ける」という表現が「思想又は感情を創作的に表現したもの」と認められる可能性は非常に低いと考えるので、私は仕様を構成する表現は、一般的に著作権による保護の対象外であると考える(もちろんその表現がとても創作的だったら、著作物性を認めるが)。


たびたび言ってるけど、特許権と著作権の切り分けがどうもあいまいなんだよなあー
「その表現がとても創作的だったら、著作物性を認めるが」なんて表現がモロにまだ切り分けあいまいなのを物語ってるね。

「とても創作的」かの「とても」は著作権に関係無いんです。
以前由来性の話をしましたが、ヘボい発想であれ、そこに由来する表現であれば、それはそこに著作の権利はあるのです。
サイボウズ裁判でサイボウズが負けたのは、結局それらそれぞれがサイボウズに由来する表現とは認められなかったからです。
「似ている」「似ていない」は争点ではなく、似ているが、別にサイボウズ由来の表現とは認められない、ってのがサイボウズ裁判の判決ですよ。

著作物の定義として著作権法では「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義されています。
JUGEMの独自タグ構成を「変数にその内容に応じた名前を付ける」という命名行為に狭められて書かれていますが、実際にはどういう変数の構成にするか?という、テンプレート切り替え型ツールを表現する際のセンスモロ出しの部分ですから、120%「思想又は感情を創作的に表現したもの」でしょう。
命名規則にしても「思想又は感情を創作的に表現したもの」でしょうけどね。
なんら同種ツール作るにあたって、パクらねばならない根拠が無いっすよ。



 
 
「{BLOG_NAME}はブログの名前を表す」みたいな規則は、その内容自体は単なるアイディアであって表現ではないので、著作権法で守られる対象ではない。アイディアを独占したければ特許権等を取得する必要がある。
 
ただし「{BLOG_NAME}はブログの名前を表す」という文章自体は表現なので、それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」と認められれば、その著作権を認められる。
 
文章表現の著作権は認められやすいけど、名前(ここでいう{BLOG_NAME})とかにはふつう著作権は認められないので、名前を独占したければ、商標権とかを取得する必要がある。



アホちゃうんか?
1つや2つの一般表現について変数名が被る話なんかしてないでしょう。それを著作権保護どうこうなんて誰も話してないことなんて、いしなおさんはホントは理解してると信じたいです。(で、たぶん分かっててやってるんだろう)

いしなおさんが今言ってる主張は、
俺のこの記事は俺に著作権があります。で、ウチで使ってる「あ」という文字が使われているから、著作権侵害!という理論です。

そんな話じゃないだろう。
JUGEMの独自のタグ構成が表現にあたらない、という根拠がそれですか?
頭わいてんのとちゃう?笑
こんなツッコメ!と言うようなの苦し紛れかなんか知らんけど出したら、つついてしまうやんか笑


 
あと、アイディアの表現(仕様書とか)は著作権を持つけれども、それはあくまでも文章の著作権であって、アイディアの内容の著作権ではない。仕様書は著作権で守ることができるけど、仕様を著作権で守ることは難しい。



仕様(規約)は例外で著作権では守られない!とのたまってたのが、「守ることは難しい」にトーンダウンしてますな。

AppleII裁判や、Baker v. Selden裁判で、システム(規約)例外の無制限使用に歯止めがかけられたのを思えば、
ここで言う仕様とはあくまでアイデア、すなわち今回で言えばああいう感じでテンプレート互換型のBlogツールを成すことで、
これを実際に実現する「表現」であるJUGEMのそれが、なんら共有知として共用されるべきものではないのは明白かと。

http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000120.html
望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,
そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない


という判例を考えれば、単にこれは表現であります。


 
で。最後にどういう意図かしらねえがイシナオさんはこう結ぶ。

ちなみに権利が実際にあろうがなかろうが、当事者ならば主張するだけならばできる。無断リンク禁止議論とかと一緒だね。


なんでそこで無断リンク禁止議論が出てくるのかようわからんな。
そんな話は俺の知ったことではないし、その論点は興味ねえなあとさんざん言ってた俺を、強引に、「著作権においてどうか、でやれ!」とけしかけたくせに
「どうでもいい話ですよ…」みたくそんなこと言われてもなあ。

 
どうでもいい話であるし、現行著作権でどうか?なんてのは俺は元々どうでもよく、あくまで創作者も二次創作者もハッピーな創作者リスペクトとはなんぞや?という、最初やってた大著作権ともいうべき未来志向な観点で俺は進めたかったのだが(笑

「著作権的に反論してみせろ!」「著作権的には負うところないよ!真っ白だよ!」とか頓珍漢な理屈で吹っかけられたら、そりゃこうなるって話だ。

つーわけで、「現行著作権では?」というイシナオさんが引きずり込んだ著作権論争という総合のリングですが、プロレスラーは総合も対応できないといかん!という俺は常にジム通いかかさないので、いくらでも相手しまっせ!
なんか俺の理論に文句ある!?笑  

Posted by highbiscus at 08:30Comments(13)TrackBack(3)weblog

2005年08月18日

なんかねちねちしたチイセェ反論が(笑

お、「負け」とか煽った甲斐あったか、レベル低いねちねちした反論がきたぞー笑


はい、いしなおさんの負け。 : highbiscus -北国tv@いしなお!
http://tdiary.ishinao.net/20050815.html#p01

結局JUGEMとsbの著作権の問題については、「JUGEM独自タグ一覧」にあるようなテンプレート変数名とそれが意味するコンテンツの内容の対応付け、という仕様に関しての問題であるってことでいいんですね。見た目がなんとなく似ているから合わせ技一本、とかいう言いがかりレベルの話は本論ではないんですよね。


言いがかりレベルであるかどうかは、もはや裁判における印象論の話ですから、どうともこれ以上言えませんが(必ずしも言いがかりレベルの類似とも思えませんけど)
少なくともテンプレ変更機能の実装について、これを独自の表現ではないという論理は成り立たないでしょう。
…ってのが今争点だったのでは?

highbiscusさんは上記のようなテンプレート仕様というものは、判例によって*1著作権で守られないという見解が一般的なデータフォーマット仕様の領域ではなく、「独占的な権利を与えられるべき著作物(思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの、もしくは、電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したもの)」であると確信しており、それについて簡単な許諾を得た上で作成されたsbは、JUGEMの著作権を侵していると考えているわけですね。



なんか「規約」は著作権で守られない論を言ってますが、間違いです。
まだこの論理展開で引っ張ってる半可通がちらほら居ますが、そんな意味を書いた部分ではないというのを証明します。

山田でもウチのWeblogで延々判決文ちゃんと読んでないとしか思えない反論繰り返す「τ」氏宛てに書きましたが、再度述べようと思います。


 
 
あくまでここで言うところの「規約」というのは、競争における共通前提となるべき
公共の規約を言ったにすぎず、なんらテンプレート切り替え型Blogツールを制作する際の前提条件でもなんでもないJUGEMのどういった構造でテンプレ切り替え型ツールを実現するか?という「表現」をパクる根拠に乏しいです。
この仕組みは共有されるべきだ!と言い出したらなんでもパクり放題ですか?と。


関連判例を述べるなら、古い裁判ですが、AppleIIのROMを巡る裁判でしょうか。
現在とはソースコピーのみに焦点を置いたりと、古さは否めない裁判ですが、ここで述べられた米国著作権法102(日本における規約例外等の部分)における共有されるべきシステム等が無制限なものでないことを述べたものです。

このAppleのROMを巡る裁判でOSは共有されるべきシステムであるから模倣OK論を言った
互換機側主張ははねのけられております。
この際の判例はソフトウェア裁判における規約ルールの制限の基本として今に続くものであり、
米国著作権法の追従である日本法における「規約」の定義も同じでありましょう。

AppleII ROM裁判
http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000070.html

互換ROM陣営のシステムだから著作権及ばないはずだ!論はこう切り捨てられます。

102条(b)の底流をなすもの,およびBaker v. Selden判決が引用されている論述の多くのものは,特許と著作権との区別 をどこに引くかという問題であり,
前者は発明を保護するのに対して,後者は,かかる発明を記述した作品を保護するものである。
しかし被告の議論は,この区別 を本件に誤って適用したものである。
原告は何も,コンピュータが操作機能を果 たすべく指令を与える方法に関して著作権の保護を要求しているのではなく,
その指令そのものについて著作権の保護を求めているにすぎないのである。


さらに上記で触れられているBaker v. Selden判決のあたりについて詳しいのはこちらか
http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000120.html
Baker v. Seldenでの最高裁の基準は,アイディアを表現から区別する方法を示唆している。
原告Seldenの本が達成しようとした目的に,Baker v. Seldenでの最高裁は焦点をあてて論じているが,
それと全く同じように,本件で問題になっている著作物が達成しようとしている目的に関して,
アイディアと表現の区別の線は引かれうるものである。言葉を換えれば,実用的な著作物の目的ないし機能は,
その著作物のアイディアであり,その目的ないし機能に必要ではない他のすべてのものは,そのアイディアの表現物である




JUGEMとsbに当てはめるならば
テンプレート互換型ツールという機能を持つツールの制作に関して著作権の保護を要求しているのではなく、
それを実現するために実際の表現手法への保護はあるべきと。

同様の機能を実現した、JUGEM的に自由度の高いテンプレート切り替え型のBlogツールの開発はいくらでもでき、それ自体の制作に支障は無いが、
そのアイデアを実現するために実際にJUGEMが行った「表現」はパクる道理ないよ、と。

判決にも書いてありますが、要するに規約だとかの制限を、
規約だから共有できるはずだ!と拡大解釈するのは誤用って話。


さらに重要な部分にここがあるでしょう。

望ましい目的を達成するのにいくつかの方法がある場合には,
そこで選ばれた特定の方法は必ずしも目的ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない


結局これは俺が言ってきたことと同じことを言ってるにすぎないが、
テンプレート切り替え型のBlogツールを作るにあたって、そこで選ばれた「方法」は
これは「表現」なのであって、アイデアではないと。

方法とか規約とかの共有制限はJUGEMのそれのような独自の表現の著作性を認めないものではありません。
よって半可通のみなさまの規約論はウソ。

規約例外で公共性を認められているのはそういう意味ではないので、誇大解釈はいけません。
誇大解釈しだしたら、いくらでもなんでも「これは共有されるべき」と模倣できますが、そんな無制限なものではなく、JUGEMの独自タグを中心とした「表現」は到底著作性の否定はできません。

突き詰めると、JUGEMのそれが「アイデア」なのか「表現」なのかという命題なのですが、これは表現なのです。

望ましい目的(テンプレ切り替え型Blogツールというアイデア)を達成するのにいくつかの方法(いろいろな実装)がある場合には,
そこで選ばれた特定の方法(JUGEMの独自タグを中心にした設計)は必ずしも目的(アイデア)ではない。すなわち,これは表現なのであって,アイディアではない
…ってわけです。

「規約」例外の無茶な拡大解釈はそんな「判例」などありません。
逆に拡大解釈を制限する判例のほうはいくらでもあります。
よっていしなおさんの「判例によって*1著作権で守られないという見解が一般的なデータフォーマット仕様の領域」の判例とは具体的にどれを指してるのか謎です。
謎ですが、全部の裁判の判例をを知っているわけではないのであるのかもしれないが、不勉強なので知りません。
たぶん前の記事の三段階透過などに集約され、規約例外などのパブリック要素の非独占はもはや争点ではないのでしょう(そんな無制限な意味でないのは明白で)。少なくとも米国判例ではもはやあまり見かけない印象です。






 
 
 
あと、いしなおさん記事は、なんか知らんけど、本題とあまり関連しない酷くねっちりしたコメントがずらずら並びます。
放置してもいいのですが、エンタメ派としてはあえて触れよう(笑

私の負けですか、それは良かったですね。highbiscusさんの主張を支持する人がほとんどいないようならば、highbiscusさんがそう主張しても全然問題ありません。


単にいしなおさんが熱き返信をくれるように題名くらいは挑発しとこうとしただけなんで(Trackbackで残るし)、あまりタイトルは気にしないでよ(笑

あと、俺は議論についてギャラリーの支持どうこうで勝ち負けというくだらない論点で考えるタイプでなく、あくまで理屈でいかに相手を論破するかというほうを重視するストロングスタイルなんで、いしなおさんみたくそんなショボい観点で考えてません!
(ただし観客にもおもしろおかしく!とは思う笑)

パソ通とかやってるとさあ、傍から議論眺めてると、明らかに正論言ってるほうが、仲良しグループの前に一見負けてる風ってあるじゃん?ああいうのよく見てきたので、俺は民衆扇動みたいのってくだらんと思ってるわけなのよ。
結局とことんまでやりゃあ正論言ってるほうが勝ってるようにもいろいろ見てきて思うしな。
そんなのに一喜一憂して人間関係にひいこら言うのって疲れません?

そういう他者の目でビクビクしてっから、いしなおさんは繊細で疲れるんすよ!
俺はこーゆー意見!対論求む!とへーぜんとワクワクしときゃあストレスなんか溜まんないっすよ。
前も議論辛い辛いっぽいのを書いてたのを見て、同じようなこと言いましたが、繊細すぎる!



highbiscusさんのサイボウズ裁判の解釈(画面表示の設計に関する判例が、プログラムの(データ仕様等を含めた)設計一般に適用される)について、私はそれを認めていませんよ。
 
テンプレートデータをインポート(変換)して使うツールはOKで、直接使うツールはダメと切り分けているんだろう? 事前に解釈するか利用時に解釈するか(処理の実行タイミング)の違いだけなのに。インポート型ツールだって、元のツールのテンプレート仕様をそのまま利用していることには変わりないのになー。


まず認めていませんとは一体?
サイボウズ裁判の判決文では判決冒頭で明確にソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)であると断じています。

本件において,原告は,原告ソフトは,個々の表示画面がそれぞれ著作物であることに加えて,相互に牽連関係にある各表示画面の集合体としての全画面も全体として一つの著作物であると,主張している。
  (1)ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。すなわち,美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものであり,いわゆるコンピュータゲームにおいて画面上に表示される影像などには美術の著作物に該当するものも少なくないが,この点は,いわゆるビジネスソフトウェアについても同様に当てはまるものということができる。
    ソフトウェアにおける表示画面は,これを見る利用者に,画面全体を一体のものとして認識されるものであるから,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」として著作物に該当するかどうかは,画面全体を基準として判断すべきものである(なお,本件において,原告は,原告ソフトの表示画面の特徴につき,画面の一覧性や直感的な画面表示というコンセプトに基づき,利用者が閲覧し(情報表示画面),あるいは入力すべき情報(入力画面)を,重要度・頻度に応じて画面上に配列した点にあると主張しているものであり,原告も,各表示画面について,画面全体が一定の思想に基づいて構成され,表現されている旨を主張しているものと解される。)。


で、その結果として、サイボウズの主張したしょぼい部分(矢印によるナビゲーションとか)は、既に一般的な要素だったりと、それに当たらないとされたのがこの裁判。
認めてませんとか言い出す論拠が謎なんすが。
まだ「ソースのみ保護するのだ!」と古臭い認識引っ張って主張したのを引きずってるなら、ここは改めてください。明らかに間違いです。
認める認めないの話ではありませんし、間違ってるというならその論拠をお願いします。
元となった米国著作権法による判例見ても、数々の判例が如実に示している「事実」です。

あと、インポートならOKですが、これは要するにAppleIIの裁判でも述べられている
AppleII用のソフトウェアの実行にAppleIIのROMをパクらねば実現できないというような融合法理は成り立たないという判例に対応した話でしょう。
別にJUGEMテンプレートを活用できるツールはあってもいいんですよ。
MovableTypeテンプレとかBloggerテンプレをインポートして使えるツールは欧米でもよくありますが、そういう話でしょう。

実装という言葉の意味もよくわかっていないっぽいなー。「テンプレート仕様はツールの実装だ」ってわけわかんねー。
最大の問題点はここか
 
テンプレート使用 = JUGEMの独自タグを中心にした、スキン切り替え型ツールの実装
 
「使用」は「仕様」の誤字だとして、「仕様は実装である」なんてバカな文章は、「仕様」と「実装」という言葉の意味をきちんと理解していれば、絶対に書くはずがないよな(仕様が決まっていないのにコードを書かなきゃいけない状況を自虐的に言うのならともかく)。っつーか、自分でJUGEMテンプレート互換のツールを設計(仕様を作成)して、実装してみれば、その区別が明確になるから、やってみるといい。正規表現が使える言語なら(テンプレート互換部分だけなら)、1日もあれば書けるだろう。



あんた馬鹿か?

国語なら東大行ける成績だった俺様に語彙で勝負ふっかけようたあいい度胸だ!笑い(んで英語の偏差値40代でな!)

こんなんいちゃもんもいいとこじゃん。
「実装」という言葉は、国語的意味においてももちろん、IT界用語においても全く正しい用法だろが。

実装
http://members.jcom.home.ne.jp/maripiyo.k/SEsite/Tec_simo/simo_jissou.htm

この解説なんかわかりやすいね。

いしなお語とまでは言わないが、狭義の意味で無理やり噛み付いてるようにしか見えませんなあ?笑
新たな機能を実際にソフトウェアに搭載する作業を「実装」という。
「設計」と「実装」というプログラム開発における工程用語における意味での「実装」という語も確かにあるし、いしなおさんの言うことも分からないでもないが、これで勝ち誇る頭の構造は相当病んでると思います。もっと穏やかに!花とか育てるといいと思う!

ここでは、ソフトウェアにスキン変更機能という機能をいろいろな方法で「実装」するにあたってという話の部分なのだから、何がおかしいのだか。
テンプレ変換ツールという同じような機能を、どういう実装で実現するか?という話なのだから、これでなんらおかしくないです。

文脈では、スキン変更型ツールという「結果」と、それを実現する「実装」という文脈で使っているので、別段おかしな話ではないです。





 
 
 
とまあ、そんなわけで、なんかいしなおさんの反論がヒジョーにどうでもいい感じの内容ばっかになってきましたが、それもまたヨシ、です!笑
元気があったらまたどうぞ!  

Posted by highbiscus at 07:06Comments(25)TrackBack(0)weblog

2005年08月18日

いしなおさんがトーンダウン

なんかしらんけど、いきなり「highbiscusさん側に立った論を組んでみる」とかいう記事書いてきましたな。


highbiscusさん側に立った論を組んでみる@いしなお!
http://tdiary.ishinao.net/20050817.html#p01

要するに「そういう考え方もある」→「しかしこういうとこはグレーだと思う」等チクチクやった歯切れの悪い記事である。
せっかく「いしなおさんの負けー」とか煽って挑発したのに!(スマンス!)



なんて感じだろうか。もちろん基本的に私は「仕様全体としては十分に著作物性を感得することができ」という点に反対の立場を取るわけだし、その程度の著作権侵害の可能性をクリアにするためには「簡単な許諾」で十分だとも思っているわけだけど。あと最終的な結論としても「著作権を侵害している!」ではなくて「グレイだよね」程度しか言えないよなー。


挑発せんでもいいけど挑発するなら
「あらあら著作権的に真っ白!」つってたのに、えらくトーンダウンしたもんだねーとか言っちゃうぞ。

「仕様全体としては十分に著作物性を感得することができ」という部分について
「規約例外」も全部判例持ってきていろいろ当たらない旨を言ったし、もはやそういう反対意見くらいしかできんとは思うが、だったら反対理由をもっと理屈で攻めて欲しいぞと思った。

んで「ちょっとした模倣にすぎない」と今度は程度論かあ。
テンプレート切り替え型のBlogツールの制作にあたって、あの模倣がちょっとした類似であるとは到底思えませんけどねえ。
ほとんど同じ機能を有したBlogツールといったものに仕上がってると感じます。
だからこそみなさんJUGEMからsbに行くわけですし、小さなことには思えません。


それ以外の「画面表示が似ているし、sbはJUGEMを参考にしているという雰囲気もあったし、合わせ技一本で著作権侵害だ」なんて主張は論外だから、仮定の反対論としても不採用。具体的な侵害の証拠を出さない限りは、ただの言いがかりだ。あと「表示画面が同一だ」と何度も主張しているのは、どう見ても「テンプレート仕様」と「テンプレートデータ」の区別ができていないとしか思えない。


途中、テンプレの自由度を忘れてただけです(笑 うかつだった!
その指摘は正しいですが、まあ言いたいことは、ソースはどうあれ、結果ユーザーに提供している機能が同一って話っすよ。
で、合わせ技一本は、HTMLソースレベルでの類似は徳保さんが言ってましたが、まあこればっかは印象だろうね。

ソフトウェアに限らず、著作権裁判における類似か模倣かってのは、ソースが無ければ類似は断定できない!ってなもんではなく
そうであると判断しうると裁判官が判断するか否かなので、俺もテンプレ全部詳細にチェックしたわけではないし
全体に対する類似のパーセンテージをいくらくらいと判断するか(Blogツールという時点で似通った部分は元から多いのもあり、それとテンプレ関連を足すと90%以上類似とかになりゃそりゃ苦しかろうし)なんとも判断つかないな。
これは裁判でのアピールのうまさ具合でしょな。
裁判なったら、各種ログとか多種ツール取り揃えて類似点の特異性を集めたり、ほんと印象論になるんでしょう。

で、まあそれはそれで
少なくとも、テンプレ機能をどういった「表現」で実現するかという部分において、著作性あることは明白で、これをパブリックのように扱うのは間違いと。  

Posted by highbiscus at 07:04Comments(0)TrackBack(0)weblog

2005年08月15日

はい、いしなおさんの負け。

いつ誰がテンプレート型のツールを作ったら模倣なんて言ったんでしょうか? いしなおさんの議論展開は卑怯だなあ。笑い
「テンプレート型のBlogツール」と、「どういう実装でテンプレート型のBlogツールを作るか」という「表現」の話を(たぶん意図的だろうが)混同させて、テンプレート型のツールは一般技術!とか言って反論風にしてらっしゃいますが、
こちとら全くテンプレートで切り替えるような仕組みのツールってもん自体を一者が独占すべきもの、なんざ言ってませんのは明白ですわな。
テンプレート切り替えタイプのツールを作るにあたって、実際にどうのような「表現」でそれを実現するかという部分について、独自「表現」であり、何ら一般的なものではないと言ってるわけです。

JUGEMはオリジナルな独自タグの構造でそれを実現しました。
同様な使い勝手のテンプレート切り替え型のBlogツールを実現するにあたり(アイデアの別表現ということ)、なんらそのJUGEM独特の表現を模倣する必要性が無いことを前の記事で説明しました。
要するに、別の独自タグ構造で、別「表現」でこのテンプレート切り替え型Blogツールという「アイデア」を実現することがいくらでも可能なものであり、アイデアと表現が不可分なものではないから、ソフトウェア著作権における融合法理も成り立たないし、
別にJUGEMの実装した「表現」はテンプレート切り替え型ツールにおける公共的な基礎技術でもないことから、マネねばならない必要性が何ら無いため、このような例外規定に全く当たらず、表現をマネる根拠が全く無いと。

Re: 米国著作権法とsb : highbiscus -北国tv (18:07)@いしなお!
http://tdiary.ishinao.net/20050814.html#p01


テンプレート技術とテンプレート仕様とテンプレートデータとコンテンツ(エントリー)データの区別をつけてから出直してきなさい。


区別思いっきりついてるじゃねぇか笑
テンプレート技術、テンプレート仕様、テンプレートデータ、コンテンツ(エントリー)と4つにイシナオ語で別けてるが、俺の記事のほうでの用語に置き換えると

テンプレート技術 = スキン切り替え型ツール
テンプレート使用 = JUGEMの独自タグを中心にした、スキン切り替え型ツールの実装
テンプレートデータ = JUGEMのテンプレート
コンテンツ(エントリー) = いつ各サイトの記事の話なんてしたんでしょう? ここからも全然俺の記事内容に合致してない無理やり批判なのが伺われます。

俺の前の記事を見ていただければ、明確にスキン切り替えツールというものを実現するにあたっての「表現」が、JUGEMが独自タグを中心にして実装した仕組みであり、
同様のスキン切り替え型ツールを作るにあたり別表現はいくらでも可能な部分であり、ここを表現と言わずしてなんとする、と述べております。

明確に切り分けて(というか、その切り分けがキモの理論なのに)語ってるのに、なにその批判?




* テンプレート技術はblogツール、Webアプリケーションに限らず、プログラミングで非常に一般的なテクニック。領収書の宛名を書く部分は「$様」としておいて、実際にコンテンツが決まった時に「highbiscus様」に差し替える、という技術。


そんなのいつ俺が問題にしたよ?(;´Д`)
そういうスキン変更型ツールをどう実現するか、という実際の実装、すなわち著作権的に言うところの「表現」がJUGEMの独自タグを中心にしたその実装で
それを丸パクリするのでは、アイデアでは無く表現の模倣で道理が通らんよ、ってはなし。

「表現とアイデア」のうちアイデアがここであげられているような「ありがちな置き換え式のテンプレート切り替えツール」というもので、これは基礎アイデアに属するものであるから一者の独占は公共性の観点から認められない。
そのアイデアの実際の「表現」がJUGEMのそれじゃんよ。それをマネる必然性が証明不可なわけで、著作権の話でいうならクロつってんでしょが。




* テンプレート仕様は、テンプレート変数(名)とコンテンツの対応付け。上で言うところの「$」は「宛名」である、というような決まり*1。


ここがスキン変更型ツールという「アイデア」における、実際の「表現」です。
この表現について、sbがJUGEMの表現を模倣するための道理は無いって話です。
別表現でいくらでも同じアイデアの実現は可能なわけで、そうなると単にパクリ。JUGEMの権利物を借用してるって話になる。


* テンプレートデータは、テンプレート仕様に基づいて作成されたデザインデータ。「宛名: $様」みたいなデータ。
* コンテンツデータは、テンプレートにはめ込まれるコンテンツの内容。「 = 'highbiscus';」とか


このへんは全く今回の議論で俺は問題にしてないのだが…。
というか分かりきったことを何を今更という感想。


sbがJUGEMと互換性をもっているのは、テンプレート仕様。ユーザーインターフェースなどの外見的な特徴を表現しているのは、テンプレートデータの方。テンプレートデータによってユーザーインターフェースが同じになったとしても、それはテンプレートデータの著作権の問題であって、それを読み込むツールの問題ではない。sbがtDiaryやMTのデータをインポートできるというのは、コンテンツデータのこと。sbとsb2で互換性がないというのも同じ。これは今回の件とは関係ない


あ、これは俺が勘違いしてた!
tDiaryスキンとかもインポート機能あるのかと誤認識してました。
よく欧米ツールでは、MovableTypeテンプレとかBloggerテンプレをインポートして持ってこれるツール多いので、できるのだとばかり。
前記事でも明確に「tDiaryスキンやMovableTypeテンプレートもsbは利用できますが」とか書いてしまってますが、どうも違うようだ。すまん。

でもまあ、あんまり論旨に関係は無いです。
あくまで前記事でも議題にしてるのはいしなおさんの言うところの「テンプレート仕様」の部分。
一切コンテンツデータやテンプレートデータの話ではないのは前記事では一貫してると思います。




さて、本題。
いしなおさんはこの後、JUGEMの「テンプレート仕様」を解説して、著作権的に問題無いとします。

テンプレート技術とテンプレート仕様は、上記の式で言うところの「+」の部分になる。テンプレートデータとコンテンツデータを結合する処理を行うために利用される技術と仕様。
 
テンプレート展開の実装方法としては、
 
* 正規表現を使ってテンプレート変数を置換
* DOMツリーに展開して該当のオブジェクトのinnerTextに代入
* いったんネイティブプログラムコードに変換してからeval
 
など、いろいろな書き方がある。というのが表現の違いの話。
 
JUGEMはソースが公開されていないので、sbはJUGEMの著作権に触れることなく、互換性のある実装を行っている。もし偶然JUGEMとsb のテンプレート展開の処理が似たようなコードで記述されていたとしても、sbの実装はJUGEMのソースを元にした(由来した)ものではないので、著作権的には問題ない。というのが著作権における由来性の例外事項(同じ表現でも由来していなければ著作権には触れない)の意味。



吹いたわ(笑

これ要するに、まだ著作権はソースコードのみ!論なんてオレオレ著作権引きずってるのな笑

テンプレートの変数を実際のデータを用いて置換処理!というのをプログラムソース的にどういう書き方するか?というのが「表現の違い」とし、
その実際にどういう書き方をしているか?というソースが未公開なJUGEMにおいては分からず、従ってソース模倣ではなく結果類似であり著作権に触れない!と。

 
サイボウズ裁判でも欧米の裁判でも明らかなように、ソフトウェアの表層的表現も著作権の範疇であり、ソースのみが保護されるなんて論理はどこにもない。
そんなこと法律のどこにもまったく載ってないはなし。

大昔AppleIIな頃とかは、ハードは著作権あって、ソフトは著作権無いみたく見られ、コピーフリーだった時代もありました。それから時代は移り変わり、数々の裁判を経て、現状のソフトウェア著作権の考え方があります。
ソフトウェア著作権が認められ、明らかに現状認識としておかしいのに、そういう時代錯誤をまだ言ってんのかいな。
サイボウズ裁判を自身の論理の例示として用いながら、その論旨をまだ言ってるのはダブルスタンダードってもんでしょう。

 


実際のソースがどうあれ、表層的なソフトウェアの「表現」が明らかに模倣されていれば、それは原則著作権侵害なのです。
現状の最適な素材であるロータス裁判の判決見ても明らかでしょう。ロータスの階層メニューという「表現」の創造性を認めつつも、それはこのジャンルにおける共有されるべき基礎技術であり、独占不可の判決が下りたものです。
このように、表現の創造性と、その公共性の差し引きというのが現状の法認識です。
ソースを盗用したかどうか?なんて次元はもはや論点ではないのです。

もちろんJUGEMとsbのそれでは何ら公共的な基礎技術でもなんでもないことから、例外規定は当てはまらず、模倣を擁護する論理は無いでしょう。
  


ところで結局、テンプレート仕様(タグ)の互換性以外には問題がない、ということでいいのかな?


さあ? 作者自身、管理画面が(たぶん旧JUGEMに)似てると言うような程度の類似や、
徳保さんによれば標準テンプレートにも模倣が見られるとかいう話もあったり、
実際の外面的な仕様がまるっきりいっしょなことを考えると
前々から言ってるように、「合わせ技一本」かもね、と思うかな。
ここばっかりはそんなん裁判なってみな分からない話ですね。
ユーザー側の使い勝手の話で考えると、差異より類似のほうが多いツールだろうし、なんとも言えんな。
スキン変更型ツールにおいて、ほとんど管理機能に差が無いのを思えば、そのキモであるテンプレート変更の「表現」のデッドコピーは比重大きいとも思う。

 
 
と、まあそんなわけで、反論なってねぇよ〜
ソースが同一でないから著作権的にOK!で反論したつもりになられましても…
こんなの別にサイボウズ裁判なんてしょっぱい裁判出してくるまでもなく、MacOS裁判でもなんでもあくまで表層的表現を争ってる例はいくらでもあるでしょう。

実際にどんな仕様でテンプレート変更型のBlogツールを提供するかってのは、明らかに「表現」です。
これはなんらパブリックな要素ではないので、これをデッドコピーして「俺の創作」はねぇだろうって話になるわけだ。  

Posted by highbiscus at 12:09Comments(20)TrackBack(0)weblog

2005年08月11日

遅れてごめんね!

はい、というわけで返信してみましたー
実はこれもう数週間前に書きあがってたんだけど、図を付けようとか思ってしまい、多忙だったのもあって、ぐずぐずしてました。こんな図なら要らなかったかもしれぬ。


というわけで、サイボウズ裁判で語られていることは、ソフトウェア外面的表現においても著作権は成り立つということであり(ソースだけなんてのはウソ)
スキン変更型ツールにおける「表現」とは、そのスキン変更仕様の設計であり
同様なスキン変更型ツールの「アイデア」を実現するために、そのJUGEMが実装した「表現」は必須要素では全く無いため、融合法理による表現の独占不可はなりたたず、
また「規約」例外も、ソフトウェア開発における公共的な仕組みの独占を規制したにすぎない項目であることから、JUGEMの独自表現がパブリックとされる道理は無い。


というわけです。
これをだらだら理詰めで書くと、前記事のように長くなるわけだ。

日本のソフトウェア著作権は米国の追従でできたもので、その各語の解釈は米国事例と対応すると考えられるが、そこから米国での裁判事例を参考にすると
まったくJUGEMの独自タグによるスキン変更型ツールとしての「表現」を公共だ!と言える道理は無いことが分かります。

なにをもって公共と言ってるのか全く皆目検討がつきません。



現行sbをもって、JUGEMの著作権にかかる部分は無い!なんて言うのは明らかに著作権っつーもんを理解してないっすよ。
別に著作権論争するつもりはなかったが、現行著作権的にどうか?という議論吹っかけてくるなら、俺はこう答えます。

どう返すよ?よ?  

Posted by highbiscus at 14:33Comments(5)TrackBack(3)weblog

2005年08月11日

米国著作権法とsb

そろそろ時間できてきたので相手するぞ!笑
遅れてすまんかった!プロレスラーは大技は終盤まで温存しとくものなのだ!ってことで!
そろそろ終盤戦いきましょかー!

さて、なんかsbのテンプレの互換性を実現することはソフトウェア著作権法の「規約」例外にあたるため自由である!という意見があるが、これは間違ってると思う。
規約例外はそんなことを書いた文脈ではないというあたりを、元となった米国著作権法と、その判例を肴にだらだら語ります。
また、テンプレ互換の実装表現は明確に独自の「表現」であり、sbの実装表現では別実装とは言えないものであることも豊富な事例から証明します。


●図解

まずおおまかにJUGEM及びsbというスキン変更型のツールにおけるインターフェースデザインとは?という話について図解をしたい。

Blogツールに限らず、スキン変更型ツールにおいて外観のデザインは変わりうるもので不定である。
ではそういったツールの外観デザインにソフトウェアとしての著作権性はないのか?
否。そんなわけないだろう。
そういったソフトウェアにおける外面のインターフェースデザインとは、そのスキン変更部分の設計である。
図示するとこういうことだ。


(3DCGツール使えばよかった…テキトーでスマンス)

このように
お面が付け替えられるのがスキン変更ツールというものである。
通常のソフトウェアでは、その表情=面がソフトウェアの外観デザインとして比較され、サイボウズ裁判のように著作権の範囲対象とされ、論争の肴になるところであるが、
スキン変更型ツールの場合そこはマスクにすぎず、真の表面はその下の部分になる。その下の部分の設計デザインこそが、そのソフトウェアの外観デザインの設計というものである。

この部分は要するにJUGEMで言えば、独自タグと、それの使用方法や管理方法といった設計の部分である。そこをsbでは全く同様にデッドコピー的模倣をしているわけだ。

この部分、別の仕様でも同様な自由度を持つスキン変更型ツールを作ることもできるわけで、JUGEM独自の「表現」をマネたと言えます。
ここを別実装で同じような機能を持つツールを作ったとすれば、それは表現の別実装と言えるが、このスキン変更の構造自体が表現である以上、別実装とは言えません。

また、tDiaryスキンやMovableTypeテンプレートもsbは利用できますが、インポート機能により持ってくる実装です。JUGEMテンプレ使用可能にするにしても、このような実装もできるわけです。
どこにも同様なスキン変更ツールを作るにあたって、JUGEM独特のそのアイデアを実現するための「表現」をデッドコピーする必然性などないわけです。
表現を保護するのが著作権ですから、sbはこの観点において到底擁護できないわけです。




●米国著作権法と実際のところ
日本のソフトウェア著作権は米国著作権法に追随といってよいです。なので日本語的に書かれていて分かり難い部分も多いですが、各用語は基本的に米国での適用事例に追従すると考えてよいのではないかと思われます。
(例えば、米国では「オリジナリティ」と書かれているところが「独創的」と訳されたりがありますが、これではなんだか日本語的には高い創造性のアルナシを言ってるようにも聞こえてしまいますが、英語で言えば独自の創意によって生まれたかという意味です。このように読み違えてしまいやすい表現が頻出しますが、指し示す意味は対応する米国法の意と解釈するのが妥当です)

米国著作権法の日本語訳
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_copyright_law.htm


米国のソフトウェアインターフェース裁判事例としては、ロータス1-2-3の追従ソフトを巡る裁判が有名でしょう。
vsペーパーバックの裁判ではロータス側が勝利しましたが、その後のvsクアトロプロ(ボーランド)を巡る裁判では負けます。
一次著作権適用の無制限の拡大が目立ちましたが、その後冷静な議論ななされ、範囲の制限が議論されるようになってゆり戻されてきたというところでしょう。

クアトロプロ裁判では、階層メニュー構造がその争点となりましたが、ボーランド側がロータス1-2-3のメニュー構造を参考にしたことは認められつつも、そのメニュー構造に著作権は認められないという判決が下りました。
要するにメニュー構造が、この分野のソフトウェアにおける基礎アイディアに属するものであり、独占しうるようなものではないとなったのである。

次に有名なのは、やはりMacとWindowsのインターフェースを巡る裁判。
この裁判はAppleとMicrosoftの間に1985年にライセンス契約が結ばれていることから、その契約を求めたこと自体が著作権性を認めていることの証左だという特殊な事例に基づく議論なのでアレですし、MacOSのUIにゼロックス由来のものも多いところもまたあり、ちょっと特殊な事例ではありますが、
ちゃんとソフトウェアインターフェースの著作権性についても議論されています。
この裁判の判決では著作権性の確定作業において、以下のような3段階のステップで確定したことが記されているが、ここが重要であろう。


・原告と被告のユーザーインターフェースの類似性がどこにあるのかを特定。
・それら類似点が著作権法の保護の対象となるものか、そうでないのかを決定。
・類似点を分析し、代替の可能な表現がどれだけあるのかを考慮した上で、原告の著作権の幅(scope)ないし保護の程度(degree of protection)を決定。


この手の3段階テスト(抽象化、濾過、比較)という考え方がソフトウェア著作権の認定作業では基本とされています。
(コンピューターアソシエイツ対アルタイ裁判にて生まれた方法)

日本のソフトウェア著作権においても、インターフェース面の著作権の認定作業という微妙な問題にはこの手法が念頭におかれるべきと考えられます。



●3段階テスト

前章で米国著作権裁判におけるソフトウェアインターフェースの著作権性の認定はアルタイ裁判以降3段階テストを基本とすると述べましたが、そのあたりを詳細に日本語で書いてくれてるのが以下の文献。

コンピュータプログラムの構造に関する実質的類似性の基準:抽象化−濾過−比較
http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000190.html

1ステップ:抽象化
コンピュータプログラムに用いられる際、抽象化テストは実質的類似性の吟味における最初のステップとなる。はじめに、理論上はリバース・エンジニアリングに似た方法によって、裁判所はコピーされたとするプログラムの構造を解体し、そこにおける抽出物の各レベルを分離しなければならない。このプロセスは、コードに始まりプログラムの究極的機能を表現することに終わる。それに伴い、設計者の各ステップを(プログラムの制作過程で行われたのと逆の順序で)たどるとともにマッピングすることが、非常に重要である。


まあ要は、裁判所が詳細に両者を比較検討し、類似していると考えられる点を抽出しますということです。

→sbの場合
 表層のスキン変更法(すなわち独自タグの実装)や、管理画面の一定の類似、などがあげられるだろうか?


2ステップ:濾過
このプロセスでは、抽象化の各レベルに含まれる構造的要素が「アイディア」であったのか、または、効率性の考慮上要請されたものであって、その結果当該アイディアに必然的に付随することとなったり、プログラム自体にとっては外的な要因により必要とされるものであったり、あるいはパブリック・ドメインからとったものであるが故に保護されない表現であるのかを判断するために、当該各抽象化レベルにおけるこうした構造的要素を吟味することとなる。どんなプログラムの構造でも、こうした考慮の一部または全部を反映することもあれば、全く反映しないこともある。事例ごとに、固有の事実に即した検討が必要となる。


これはステップ1で抽出した類似点各点において、著作権の保護対象な部分なわけ?というのを調査する部分。つまり「原告の著作権の範囲を画する目的」がここ。

ここは難しい部分で、「融合法理」、すなわち「一つのアイディアを表現する方法が本質的に一つしかない場合、当該アイディアとその表現とは分離不可能であって、著作権は当該表現のコピーを何ら妨げるものではない」というものだ。
「アイディアは保護せず表現は保護する」という著作権の根幹があるが、実際には表現とアイディアが融合して不可分なこともあり、その場合の話である。ソフトウェアのインターフェース表現においてこういう場合は多いので重要な部分である。
結局ロータス1-2-3とクアトロProの裁判も、効率的な階層メニューのアイデア実現のロータスの創意は認めつつも、そのアイディアはこの手のソフトウェアの基本的ディティールに属する部分であり融合法理を前提に著作権を否定した。
つまり、その表現がアイディアと不可分なものであり、融合法理により、アイディアの公共性から言ってその表現を保護するわけにはいかないということである。

あと、(b)外的要因に支配される要素、(c)パブリック・ドメインからとった要素という例外がこのステップにあるが、要は(b)は形式的な決まりごとで、もはやお決まりである場合に著作権の対象にならないと言う話。(c)はお定まりの描写が保護されないことに関連して、パブリックドメインに属する単一の著作権を持たない表現については主張できないという話。

→sbの場合
 管理画面の細部の類似について論議はあるだろうが、ロータス裁判の融合法理に照らし合わせると、保護されない部分多いのではないか?とは思われる。(a)

 しかしスキン構造についてのコンパチ(すなわり独自タグの互換)に関しては、当てはまらないだろう。この部分はすなわち、スキン変更型ツールのそのキモの部分の設計のはなしである。
(a)の融合法理で対処するにはその設計にしなければ同様の機能を実現できない不可分なものでなければいけないが、同様の自由度を持つスキン変更ツールの実装において、JUGEMの表現と同一にする必然性は無い。同じような自由度を持つスキン変更型のWeblogツールは制作可能なのである。
(b)の外的要因もないし、(c)のパブリックドメインという実態も無い。


3ステップ:比較
ひとたび裁判所が、侵害したとされるプログラムのうち「アイディア」であったり、効率性または外的要因に支配されていたり、あるいはパブリック・ドメインからとっていたりする要素をすべてふるい落としてしまうと、保護される表現の核心部分が残ることとなる。ある作品の著作権法的な価値という観点からは、これは金塊である。この点において、裁判所の実質的類似性審査は、原告のプログラム全体に関するコピーされた部分の相対的重要性の評価のみならず、被告がこのような保護される側面をコピーしたかどうかに焦点をおくことになる





前2段階でふるい落とされてこの段に残った要素こそが、原告の著作権に属する部分の、被告との相似点ということになる。
なのでここを最終比較して、シロクロ付けることになる。
状況を大局的に判断して考えるのであろうが(例えばMacOS-Windows裁判ではライセンス問題とかもあったりで)、
比較的例外的な事項の少ないピュアなインターフェース裁判と言えるロータス裁判によれば、原告の著作権の幅(scope)ないし保護の程度(degree of protection)を決定というプロセスが行われたことが書かれている。

 →sbの場合
 前2段階を透過してここまで来るのは、恐らくJUGEM独自タグを中心にした、「デザイン変更機能」の実装であろう。
この部分がスキン変更型ツールにおけるインターフェース表現であるわけで、ここの表現は著作権の範疇と言える。
問題の著作権の幅(scope)、保護程度(degree of protection)であるが、完全にオリジナル要素であり、またそのようなアイデアを表現する実装は別にいくらでもあり、模倣する必然性が無い以上、完全にペーパーボーイが持つ要素に思えます。ここを模倣することは、完全に表現の模倣です。




…と、このような3段階テストがソフトウェアインターフェースの著作権性テストにおいて必要と考えられるが、sbに関して言えば、全体としてどうかという議論は余地のあるところであろうが、スキン変更ツールであるJUGEM及びsbにおいて、その今回とも言うべき部分の表現は明確に3段階テストを透過する著作権性のある要素に思えます。



●「表現」と「アイディア」の分類、「規約」例外
著作権議論において非常に大事な部分がある。「表現」と「アイディア」の切り分けである。
ソフトウェア著作権ではアイディアは保護しない。表現を保護するものである、というのが大前提。
日本のソフトウェア著作権は米国著作権法を元にされているのですが、米国のソフトウェア著作権を巡る裁判でも必ず重要視される部分で、そこがアイディアなのか?表現なのか?はいつも議論の的である。


また日本のソフトウェア著作権において「規約」例外事項というのがあります。


著作権法第10条第3項前段 
第1項第9号に掲げる著作物に対するこの法律の保護は、その
著作物を作成するために用いるプログラム言語、規約及び解法に及ばない。




こちらの解説が分かりやすいか。
http://www.netlaw.co.jp/booklet_2/2.html#21



「プログラム言語」とは,プログラムを表現する手段としての文字その他の記号およびその体系のことです。これらの言語は,表現の手段で表現ではありませんので,保護の対象外とされているのであり、当然のことを注意的に規定したということになります。
 
 次に、「規約」とは、特定のプログラムにおける表現の特別の約束ごとのことです。インターフェイスやプロトコルといったものです。インターフェイスとは,特定のハードウエアやOSとの関係で情報が正しく伝達されるために遵守しなければならないルールのことです。また,プロトコルとは,たとえばCPUと端末が別の場所にあり,電話回線などの手段によりその情報の伝達をはからなければならない場合の通信規約などです。これらも一定のルールであって、そもそも著作物性が否定されるものですが、注意的に規定をおいたものです。
 
 最後に「解法」とは、コンピュータに一定の処理をさせる、処理の手順、論理的な筋道のことです。アルゴリズム、すなわち、プログラムの基本設計にあたる部分です。これは、いわゆるアイデアは保護しないという原則を注意的に規定したものということができます。ただ、ここでもアイデアであって著作権法の保護の対象とならない解法やアルゴリズムと具体的な表現であるプログラムとをどのように線引きするかについては、第7項で説明した小説などの場合と同様の問題があります。



要するにその「ソフトウェア制作」という行為における基本的な約束事は著作権及ばないから堂々共有してよいですよ、と言ってるわけだ。
つまり単にソフトウェア開発全般で共有されるような公共的な基礎要素は独占できないという話で、、全般で共有されるような公共要素でもなんでもない固有の仕様とは全く関係無い話。

米国著作権法にも同様部分があり以下が対応している部分である。

オリジナルな著作物の著作権の保護は、その著作物の中で、記載され、説明され、図解され、又は具体化された形式に関わらず、アイディア、手順<procedure>、プロセス、システム、操作方法、概念<concept>、原理、発見には、決して及ばない


こちらの解説のとおりで別に、アイディアが含まれていればその表現をコピーしてよいと規定しているわけではなく、アイディアのみを用いて別表現をするのはよいと言ってるわけである。

sbの話で言えば、別に同じような独自タグを決めて同じようにテンプレートカスタマイズしまくれるツールを実装することはかまわない。これがアイデアのフェアユース。
しかしそのアイデアの実装、すなわちJUGEMに由来する独自タグによるその機能は表現にあたる。
スキン変更ツールにおけるJUGEMのデザインは表現と言うべきものであるから、同様なアイデアのソフトウェアを作るのはアイデアの別実装で結構だが、同実装になるのでsbの場合問題になってくるわけだ。
(別に違ったタグ構造でスキン切り替え方ツールを作ることは可能である。これが「表現」ということ)

で、この規約例外規定は、米国著作権法を基準に意味合いを考えると、単に公共的・基礎的なソフトウェア開発におけるルールはみんな使っていいよというはなしである。3段階テストで言えば、パブリック透過の部分のはなしに近い。
別にオリジナリティのある実装をも公共と言ってるわけではないのは間違えてはいけないと思う。
(もしそういう意味の文であればロータス裁判でもWindows裁判でもはなから成り立たないわな。つまりそういう意味ではない)



このあたりの議論は、米国でのこちらの判例も参考になろう。

コンピュータのオペレーティング・システム・プログラムにおける著作権取得能力
http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000070.html(AppleIIクローン機裁判)

ここでは、被告のオペレーティング・システム・プログラムは,「プロセス」,「システム」ないし「操作方法」のいずれかに該当し,従って著作権取得能力に欠けるという主張が、退けられている。
また、AppleコンパチブルにするためOSのコピーが必要であるという主張も退けられている。
この裁判で重要な点として、アイデアと表現の区別についての部分で、そこは現在では102条として明示され、通用する基本的法認識と言える。


これをsbに当てはめるならば
JUGEMのようなテンプレコンパチ機能というスキン変更ツールを表現するにあたり、別実装でその表現を実現することは可能であるし
JUGEMテンプレートのコンパチブルを実現するにおいても、tDiaryスキンやMovableTypeテンプレートに対しsbが現状行っている、「インポートによる利用可能」実装が可能であるわけで、JUGEMのスキン変更型ツールとしての「表現」をコピーする必然性は無いと言える。
すなわち「融合法理」は成り立たない。

 
融合法理、つまりその「アイデア」を実現するために、その「表現」が不可分であり、アイデアのフェアユースの観点から、その場合「表現」を独占することはできない。
…というのはsbでは到底成り立たないわけで、JUGEM由来の「表現」をパクってOKな法理は無い。
いくらでも別表現によりその「アイデア」は実現可能なわけですから。

また、全くJUGEMが独自に実装したオリジナルの独自タグを中心とするスキン変更ツールとしての「表現」は、同種ツールにおける基本原理でもなんでもないので、「規約」例外にも全く当たらない。

このように共有しなければいけない理由がまったく無いわけで、著作権的にはどうか?という議論するなら、このあたりちゃんと踏まえないといけないだろう。
もちろんこの場合、まったくパブリックな要素ではなく、現行sbの設計はJUGEMの持つ著作権を侵害した設計という結論になる。  

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